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第30回大会を振り返る ~riezo Ver.~

とりあえず今大会について指の赴くままに自分のブログにちょろちょろ書いてはみたものの、まだまだ心の整理がついていないことは確か。
もっと落ち着いてからなにか書くべきか、とは思いつつ、Ω^(-1)RIに触発されて、早めに、ちょっとでも書こうかと思い、筆をとることにする。’,’技術(?)的な面について(いや、全体か?)。
鳥人間に3年半いつつも、結局CADはわからないわ、材力のこともわからないわで、言われるがままにしか作業できなかったのは個人的反省点であります。
ですが、まあ、そのような個人的な面についてはこれくらいにしておいて、と。
全体に影響を与えかねない反省点としては、プラットフォーム上でのことです。
カウルとカウル周りのことを担当していた身として、最後のフィレット付けを自分が行いましたが、これはプラットフォーム上で行うべきことではなかったのではないだろうか、という反省があります。時間をとにかく食う。読売テレビのスタッフにめっさ脅されました。「タイムオーバーで失格にするよ。プロデューサーは本気やで、ウソやない。はやくしろ。」
モタモタしてたわけじゃないけど、そういわれて、余計に焦って、クリスタルはとれなくなり、更に効率に悪いことに。
フィレットとサーボ調整のフタ閉じ、全て自分で行おうとしていたので、もっと分担するべきだった、と思いました。それか、桟橋渡ってる時に行う、とか。それは他の班の考えもあることなので、ここだけで決めれることではないのではありますが。
また、フライト当日になって過去のパイロット北島さん、池田さんに言われたのですが、過去にはキャノピーにトリムをとった状態で水平線をマジックで5cmくらいピーッと引いてたとのこと。
そうすることで、シミュレーターで操作しているのと同じ感覚で水平線を基準にし、頭下げ、上げが行えるのではないか、と。
そのようなことを当日に知り、プラットフォーム上でパイロットが乗り込んだ状態で行ってはどうか、と提案したものの、結局できていません。
どれもこれもプラットフォームでの時間をうまく分配できていなかったという後悔がしてなりません。
・・・そんなわけで、なんでしょう、プラットフォーム上では、riezoが一番焦っていたのではないでしょうか。桟橋にいるときは、けっこう平気だったのに。
今年は自分自身に変な波があり、機体が動き出したくらいのときには、実は手足が震えてました。楽しみと、怖さと、終わりが近づく悲しさで。
けど、桟橋のときには「やるっきゃない」というワクワクが強くなってきて。
でも、プラットフォーム最上部、傾斜のついた床、目の前に広がる水平線を見た瞬間、頭がどっかに飛んでいくのがわかりました。
結局焦って、最後の仕上げをして、ごろごろごろ、と転がって後ろに下がって。
起き上がった時には、もうカウントダウン。
心の準備のないままに、機体が前へ出ていった。
そこからは、ほとんど覚えていない。
泣いてる理由も、正直よくわからなかった。
去年はあきらかに悔しさが一番。
でも、今年はなんだろう。
ああ、「終わった」んだ。
去年は、来年へのやる気と不安が入り混じった気持ちを感じていた。
だが、私がそれを思うことはもうない、必要がない。
Ω^(-1)RIの言うとおり、今後自分を含めたメンバーで、機体を作って、飛ばして、喜びを分かち合うことは、ない。
来年、OGとして応援席でみんなを見守っても、いつまでも仲間だとは信じていても、全く同じものを共有できるわけじゃないんだ、自分は「おしまい」なんだ、という思いしかなかった。
結局、一人よがりやね。自分のことしか考えれてなかったのかな、私。
そういう涙やったんかなあ・・・わかんない。
自分にとって最後の年だから、他の人と思いが違うのは、しかたないのかな。
今はただ、私も虚無感、空虚感、燃え尽き症候群。
1週間、本当に濃い日々を過ごしていたから、寂死しそうです。
by riezo(明日、中間報告なのに、ちゃんと復習できてない)

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