お疲れ様ですandめちゃくちゃ遅くなりました.QX-22設計の山下です.テストやレポートがひと段落したので書き始めがかなり遅れました.なんで院生にもなってテストがあるんでしょうね……それを見越してある程度原案をメモにまとめていたので,それを基にこの記事は書かれています.過去の自分よ本当によくやってくれた.
今年度は19の時よろしく大会一日目が天候の関係で中断,二日目に持ち越しとなった年度になりました.そのためイレギュラーな動きが多かった気がします.『二度あることは三度ある』という言葉があるようにもしかしたら今後とも直面する機会がある日程かもしれません.この記事がそのような年度での対策の一助となれば幸いです.
積み込みについては他の記事で詳細に書かれているため割愛.積み込み練で相当苦労した分,本番のほうはかなりスムーズに事が運んだ.
7/20(水)
14:00頃 大学を出る.車は部車で同乗者は秋山さん,澤田.見送りがすごかった.兵士の凱旋みたいでなんかいいよね,うん.伊都ストレートで松尾が見送りにに来てくれたことに同乗者の二人が気づく.運転に集中していたので一瞬しか見られなかったがそれでも十分すぎるほど印象に残った.来年こそは行こうな,絶対.
15:20頃 古賀サービスエリアに到着.ここまでの旅程で助手席に座っていた秋山さんのナビにものすごく助けられた.というかカーナビの音声がとても小さかった.もっと声を張ってほしい(後ほど調整しました).指示出しにある程度の声量が必要なのは作業やってたらわかるハズでしょう,まったく.すべての車が到着し次第一度トラック内部の機体の確認を行った.必要な人はここで夕飯の買い出しや飲み水の確保を行った.その後15:40を目途に古賀サービスエリアを発った.
16:30頃 高速を抜けて新門司に到着.その後高速抜けてすぐのセブンでクーラーボックスに入れる用の氷(夕飯や次の日の朝食を保冷する用)を買った.食品の保存用(キンキンに冷やす必要がない場合)ならば,買うべき氷はロックアイスではなく板氷.溶けにくい分水没の危険性が低いしね.ちなみに,個人的な意見としてはペットボトル氷を作って持っていくのも全然ありだと思う.釣りでは大活躍します.作業場に冷凍庫あるんで積み込みの時にでも作っておいて当日クーラーボックスにぶち込む.そして役目が終われば中の水を抜いてペットボトルをごみと一緒に捨てる.冷凍庫とかが向こうにあればさらに再利用できます.ホテルにはなかったからこれは現実的ではないかもだが.ぜひ検討してみて.
16:50頃 乗船手続きを行う.来年は自分が担当なので動画を撮影.これで来年つつがなく進行できればいいかも.その後車に戻ってフェリーに乗り込んだ.ここでカーナビ音声の調整も行った.
18:40頃 フェリー出発.一度全員集合して明日の集合時間を確認し,その後自由時間となった.船室で虫よけグッズを自作(詳しくは7/22のリンク参照)していたら,今村から苦情が来たので部屋から閉め出された.そのため甲板で作業の続きをしていたら藤林,高橋に目撃されてしまい変な目で見られた.おのれ許すまじ.その後Google Mapsで明日通るルートを確認しようとしたがwifiが全然安定しないのであきらめたandやることがなくなったので寝ることにした.21:00くらいには寝たと思う.これがふて寝というやつか.
(参考)
フェリーターミナルに近いセブン:来年は夕飯の買い出し等はこっちのほうがいい.
7/21(木)
6:00 起床.自分が一番起きるのが遅かったらしい.多分9時間ぐらい寝ていたのではなかろうか自分でもびっくりである.しみしゅんさんから「しっかり寝れて偉いね.」と言われた.去年行きのフェリーで夜更かしをし,帰りが地獄だったことを考慮するとよい選択をしたとは思う.十分睡眠時間は確保できた.昨日買った弁当を食べて空腹をやり過ごした.早めに寝た分夜食を食べる時間がなかったため奇跡的に弁当が残っていた.やはり早く寝ることはプラスに働いている.
7:10頃 フェリーが到着.車を出したのちフェリーターミナルの近くに止めて機体のチェックを行った.
7:20頃 新神戸を出発.部車を使って藤林カーについていく形で大津サービスを目指して出発した.同乗者は昨日と同じ.フォーメーションも同じ.藤林カーがかなり迷っていいたため,それにつられて自分たちもかなり迷走した.その後藤林カーに見切りをつけて独自のルートで出発した.使ったルートは以下の通り
・六甲アイランド北側臨港道路に入る
・大阪/三宮/阪神高速3号神戸方面のランプに入る
・六甲大橋通過
・国道43号/大阪方向の出口を出る
・分岐を左方向に進み,ハーバーウェイを通過
・左車線を維持し東御影線に入る
・東御影(交差点)を右折して浜手幹線/西国浜街道/国道43号に入る
左手側に見えるエネオスが目印
・左車線を利用し魚崎ICから阪神高速3号神戸線に入る
(ここまでくれば後は問題ない)
・大阪空港方面のE1/名神出口を出る
・名神高速道路/西宮線を進む
・大津SAに到着
(Google Maps検索方法)
1.経路検索で「阪九フェリー神戸乗り場」→「大津SA(上り)」を指定
2.『経由地を追加』機能で『地図上で選択』を選択.六甲大橋にピンを立てる
※「六甲大橋」とそのまま打つと遊歩道を参照するので経路がバグる.
教えて詳しい人!
3.『経由地を追加』機能で「魚崎料金所」と入力
4.経由地を「阪九フェリー神戸乗り場」→「大阪湾(=六甲大橋の地点)」→
「魚崎料金所」→「大津SA(上り)」と並び変えれば準備はOK
これが最善のルートかどうかは分からん.ただし利点として一旦下の道を通って阪神高速に入るので,複数車線にまたがるようなヤヴァイ道路を通らなくて良いという大きな利点がある.割とストレスフリーだった.ただし下の道を通る車の運転も結構ヤヴァイ.結局どっちもどっちなのかもしれない.
9:00頃 大津SAに到着.写真を撮影したり朝食をとったりした.昨年食べ損ねたカレーパンを食べようとしたが時間がなかった.来年こそは食べたい.忘れないでおこう.またここでも全員がそろい次第機体のチェックを行った.9:40頃に大津SAを出発した.
10:30頃 彦根に到着.その後15分ぐらい運転して彦根アートホテルに到着した.
11:00頃 駐機場の下見に出発.到着後いかついオッサンに「下見はだめだ」と言われる.来年もこの感じなのだろうか?そうなると来年の夕食後まで結構暇になる.
12:40頃 オカモトタンメンで昼食.去年岩ちゃんがオススメしてくれた場所であり,やっぱウマい.そういや去年は同期がもっと沢山居たはずなのにな……
下見が出来なくなったためその後は自由行動になった.特に書く必要がないので夕食の時間までスキップ.とりあえず寝れる時間はできるだけ寝るように心掛けた.
19:00頃 夕食を食べにホテルを出発.夕食はブロンコビリー彦根店で食べた
21:00頃 LINEで次の日の予定について話し合いをした.それが終わり次第,次の日に備えてすぐ寝る,はずだった.
21:30頃 明日必要な資料が印刷できていないため印刷したほしい,という連絡がしみしゅんさんから来た.USBを持ってきていたため必要な書類をコピーしたのち,22:30頃に近くのコンビニで印刷を行った.
23:00頃 もう一種類書類を印刷してほしいという連絡が来たため,再び印刷を行った.その後しみしゅんさんとの連絡が途絶える.
23:40頃 菊池さん,寺西さんとロビーで合流する.その後事の全貌が明らかになった.内容としては必要書類を持ち込んでいなかったというものだった.4人で話し合いを行い,自分たちで打てる手がないと判断したため,24:00を境に全員で解散し明日大会事務局に問い合わせることにした.来年は自分が同じ轍を踏まないようにしなくてはならない.
7/22(金)
6:00頃 荷造りをしてロビーへ向かう.とりあえず寝れはした.自分は噓をついてても顔に出てしまうため,正直昨晩の夜の出来事が顔に出ないか心配だった.朝食を終えその後湖岸へ向かった.今回自分はトラックの助手席に座り積み下ろしの手伝いを行った.
8:00頃 トラック専用の駐車場に向かった.駐車場の入り口には受付があり,定刻の8:00になったら代表者が集まり場所取りの受付を済ませる.今年度は(?)数字が大きい順番,6番から希望調査が行われた.当初の予定では本命5番,人数が多く取り合いになるようであれば6番の予定だったため予定が狂い割と焦った.5番の希望は九大と日大の2チームのみであったため,じゃんけんによって順番を決めた.自分はじゃんけんに負けたため日大の後に積み下ろしを行うことになった.
8:30頃 トラックの積み下ろしができるようになったら代表者(多分しみしゅんさん?)に連絡がいくと受付のお兄さんに言われた.積み下ろしの時間は30分ぐらいで終わるらしいので,このくらいの時間からスタンバっていたが全然連絡が来ん.さらに間の悪いことにしみしゅんさんがPとの選手受付に行ったので直接連絡が取れなくなる.最終的に8:50頃にしみしゅんさんから連絡がありトラックを動かした.
来年からはPと選手受付に行く人とトラック関係の責任者は分けた方がいい.今年の自分みたいに,助手席に座ってる人がやってもいいかも.要検討
9:00頃 積み下ろし開始.爆速で終わった気がする.反省点としては主翼を外すレンチが車内になくて少しもたついたこと.来年は多めにトラックに積んどいてもいいかも.
10:00頃 設営開始.いろいろもたついた気がする.寺西さんが資料をの残してくださったので,来年はそちらを参考に.この時ぐらいの書類の件が解決したことを知った.良かったホントに.
13:00頃 カウルが組み終わったタイミングで安全審査のおじさんたちを呼んだ.大体来るのに1時間ほどかかるのでその間に主翼を組むようにした.
14:00頃 安全審査のおじさんたちが来た.去年と比べて質問は少なかった気がする.ピトー管については突起物とした何か言われると思ったが「ピトー管は仕方ない」という答えが返ってきた.そういうもんなの!?ちなみにこのピトー管,フライト後の解析に大活躍することになる.
15:00頃 脚蓋電装に関係ある班以外暇になったので時間あれば風向き,風速を測りつつSCW – 天気予報とにらめっこしていた.ちなみにこの天気予報かなり正確です.釣りでよく使う.1時間単位で予報が変わるのでずっと張り付いている必要はありますが精度は高い,オススメ.
18:00頃 雨が降ってきた.ブルシを使って機体を守ることに専念した.やはりガムテと結束バンド,ブルーシートの組み合わせは最強である.30分ほどで雨は過ぎ去ったが,駐機場組は全員ずぶぬれになった.大体この時間にヘルプを求めたが,結局交代になったのは20:00近くだった.正直イレギュラーなことなんで仕方がないことではあるが,救援要請から1時間半近く音沙汰なしなのは精神的にも参った.去年も金曜の夜は遅くまで湖岸に残され,飯なし野ざらしの人間が複数人いたのでここは要検討だと思う.何なら何人か湖岸泊組の人たちも居たし.さすがに二年連続同じ目に合うのは堪える.
19:45頃 極楽湯に向かう.その後21:00くらいに宮前,佐野とびっくりドンキーで夕食
21:45頃 宮前,佐野とともに湖岸へ帰る.
22:00頃 彦根アートホテルに到着.ロビーにて30分ほど明日のフライトプランについて話し合った.
23:00頃 湖岸に到着.その後就寝.こののち1時ぐらいにたたき起こされることになるが,それまでは十分寝れた気がする.やはりアイリスオーヤマのエアマットは最強である.銀マットなんて比じゃない.Amazonで¥2,000ちょいで買えるんでオススメ!
寝袋については,雨が降らなければそんなに必要ではないと感じた.逆に雨に降られると朝方寒くてガチで震える.さらに先述した虫よけストーンも十分すぎるくらい効果を発揮した.虫刺されがほとんどなかった.皆さん来年は使ってみてはどうでしょうか?虫よけスプレーと併用すると9割がた虫刺されはシャットアウトできる気がする.
(参考)
虫よけストーンの材料
無印良品の素焼きストーン:伊都イオンにある無印良品で買える
ハッカ油:九大学研都市駅近くのコスモスで買える
7/23(土)
2:00頃 突如として降ってきた大雨に叩き起こされる.皆で雨漏りを塞ぎながら機体を守った.雨が止み次第また寝たような気がする.あとこの時に宮前からヘッドライトを踏み砕かれて角度調整用の丁番が使い物にならなくなった.おのれ許すまじ宮前.
5:30頃 脚蓋電装が4:30頃にスタートしたように記憶している.自分は仕事がなかったのでこの時間まで寝ていた.大体主翼班の面々はこの時間に起きていた気がする.それにしてもよくこんな状況で寝れるよね,自分って.
7:00頃 テントから機体を出して移動を開始した.テントの撤去について自分があまり容量を得てなかったのは普通に問題だと思った.とはいえその時の自分にはそんな精神的な余裕はなかったが.来年までには内容を完全に頭に叩き込んでおきたい.
7:30頃 鳥科が430m飛んだことを目の当たりにしたことで,フライトの大まかなイメージを固めた.フライトチームもそれを見て当日どう飛ばすかイメトレをしていた.前日にミーティングを行ったのは正解だったと思う.また,当日組全体も士気が高かったのはとてもうれしかった.結果論だが,この日に飛ばしたかった.
8:00頃 主翼をつけていった.この時に問題が発生.左翼1番が挿せたものの正しい角度で取り付けられず,なおかつギチギチだったのでねじり止めが付けられなかった.とりあえず時間がないのでねじり止めを付けれるところだけつけてフタサットを取り付けた.平時は挿し代がスルスルだったのに微動だにしなかった.『桁は膨張する』とよく言われていたがこんな場面で発生するとは思わなかった.グリスはちゃんと塗ってから桁は挿しましょう.
8:30頃 プラホに向けて機体を平行移動していった.この時,宮前の存在がとても心の支えになった.要所要所で的確にアドバイスをしてくれたのでかなり負担が減った.本当に助かった,できれば来年も来てほしい.
9:30頃 雨脚が強くなってきた.19の時が脳裏によぎり2日目に持ち越しになる予感がふつふつと湧いてきた.今年度は本当に運に恵まれていないと思った.
10:00頃 大会の中止が告げれた.19のように2日目に持ち越しになるだろうと思っていたのでその時はまだ気分的には楽だった.指示出しで疲れていたため頭に血が上り,それどころではなかったというだけの気もしないではないけど.
15:00頃 しみしゅんさんが大会関係者から明日のフライトが一番最初になり大体早朝5時くらいになる旨を聞いた場面に立ち会った.この際は聞く耳を立てていただけなんであくまでも予定なのだがすぐさま明日のフライトプランを練った.SCW – 天気予報を見て絶望した.今年度は本当に運が下振れまくったと思った.
16:30頃 駐機場が移動できるようになったため,荷物の移動やトラックへの点との積み込みを行った.
17:00頃 駐機場の設営開始.なんかこの時間くらいから記憶があいまい.疲れていたからだろうかあんまり積極的に参加できなかった気がする.ブルシに寝っ転がったが最後,意識が数十分単位で飛んでた.正直やばい.
18:00頃 フライトチームから明日のフライトプランについて話し合いたいと連絡が来る.最後の力を振り絞って彦根アートホテルまで運転した.
19:00頃 菊池さんも合流したため,前日同様彦根アートホテルのロビーでフライトプランについて話し合った.翌日の気象条件がかなり渋いことが分かっており,機体の性能上ダイブのような飛び方をしなくてはならないこと「自分は」知っていた.この話し合いの中で半ば騙すような形の説明をしたことは本当に申し訳ないと思う.実際のフライトはとても良いものであったためこの考えは間違っていないとは思うが,人道的に決して善い行いではない.
20:00頃 近くのラーメン屋でさっと夕食をとった.時間がなかった+下調べ0の状態なので店の名前は憶えていない,すまん.兎にも角にもさっさと寝たかった.
21:00頃 就寝.2時起きなんで最低でも6時間は寝たかったが仕方ない.とにかく時間がカツカツだった.気絶するように寝れた.やっぱ疲れていたんだろう.
7/24(日)
2:00頃 起きれた.
3:00頃 機体の組み立てを開始
4:00頃 機体の組み立てが終了.昨日の反省からか割と爆速で組めた気がする.
5:00頃 転回場に到着した.左翼端の人がかなり動きづらそうだったので事前に動き方を確認しておくべきだった.
5:30頃 機体をプラホに置いた.手すりに主翼が当たらないように機体を前進させた後,ちょってでも1時~3時方向の風が吹くことを期待して機体の向きを若干左側に寄せた.風はほぼ無風で時々背風が吹いていた.この時点ですでに吐きそうだった.時間があるときは主翼を拭くように心がけた.
5:45頃 フライト.プラホ上から見た感じでは引き起こしは上手くいっていたように見えた.川野が真下に落ちたように見えたのち,プラホの陰から機体が再び現れたときは感動した.その後定常飛行に移るかと思った瞬間に急に失速し落ちた.なんでか理由はわからなかった.また,脚が閉じた瞬間は見られなかった.
6:00頃 機体の回収を行った.機体の回収は応援団に参加していたB1の子たちが中心に行ってくれていた.機体回収メンバーは事前にプラホメンバーから10人選出していたが,実際に行ったのは応援団メンバーでしたもう滅茶苦茶です.そこまで考える余裕がなかった.ハーバーにつき次第解体,トラックへの積み込みを行った.この際,尾翼のダミースパンとさすまた固定用のおもりがないことに気づく.急いで取りに行かせた.自分のミスですごめんなさい.去年の反省にも具体的な道具が書いていなかったので改めてここで記入しようと思う.
(解体用具一覧)
・軍手(たくさん)
・主翼ダミースパー
・尾翼ダミースパー
・ねじり箱
・カッター(1人1個が望ましい)
・ガムテープ(トラックでの固定用)
・結束バンド(同上)
・5kgおもり×6(同上)
7:00頃 駐機場に戻ってきた.ハイエースに積み込む荷物を先に片付け,同時にテントなどのトラックに積み込む荷物も1か所にまとめた.また,個人荷物も新幹線組は1か所にまとめるように指示した.ゴミ集めもこの時に手が空いた人でやってもらった.
8:00頃 余裕ができたので一部の人はグッズを買いにブースに行ったり,他チームの見学に行けるようにした.皆さん片付けへの協力ありがとうございました.起床からここまでほぼノンストップで駆け抜けたのでようやくゆっくりする時間ができた.と同時に今回のフライトに関して考える時間も出てきた.やっぱ思い通りの結果が得られないと悔しいものです.おそらくこの時間に現実を受け止めていろいろな感情がどっと溢れてきたと思う.
8:30頃 新幹線組をいつ返すかについて話し合いを行った.ここで新幹線組を9時半に送り出し,フェリー組は余裕をもって13時に彦根を発つことを決定した.
9:30頃 新幹線組の送迎を開始
10:00頃 OB・OGさんたちと話をして今回のフライトについて反省を行った.遅めの朝食もここで取った.そういえば2時から何一つ口にしていなかった.差し入れありがとうございました.
12:30頃 OB・OGの皆さんに挨拶をしたのち,フェリー組が彦根を発つ準備を始めた.色々と思うところはあるがそれは来年まで取っておくことにした.何故ならもうすでにQX-23に向けてチームの活動は始まっているからである.
13:00頃 部車に乗って彦根を発った.同乗者は佑輔,杉田,森.運転手は佑輔と森でローテーション.疲れが出ていたのか,わずか30分ぐらいで寝た.しかしそこで事件が起こった.佑輔が大津SAを素通りする.当事者の供述によれば大津SAの前にどっかのSAに寄って森とドライバーを交代したから,寄らなくていいと判断したらしい.一応,森とドライバーを交代するところまでは意識があったがその後の意識はない.これは7:3の割合で7祐輔が悪い.何なら8:2で佑輔が悪いまである.ブラックバスバーガー食いたかった.
14:40頃 吹田SAに到着.ここでお土産を買うと同時に軽食を買った.当然ながら滋賀のお土産はなし.お・の・れ・佑・輔.その後しみしゅんさんと合流し,お土産を購入.購入数は矢代先生,航空事務室,課外活動学生支援課,工学部教務課,プラQさん,予備の計6つ.※後日談:教務課は受け取ってくれませんでした.
15:20頃 吹田SAを出発.この頃には眠気が覚めていた.車内で携帯をBluetooth接続し,YouTubeの生放送で鳥コンを見た.あざみ野の記録を目の当たりにして車内全員が興奮した.この時間帯にビッグフライトがたくさん出たので,やっぱこの時間帯に飛ばしたかった,まぁ無理だけど.
16:00頃 神戸に到着.時間に余裕があったので近くのコンビニで夜食とお酒を買った.
16:30頃 フェリーターミナルに到着.その後搭乗手続きを済ませた.
18:00頃 フェリー出港.明日の集合時間を通達したのち解散・自由行動とした.速攻で風呂に向かった.汗だくだくだったのでとても気持ちよかった.
その後はいくつか部屋を回って飲み会をした.
同期がいないとクッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッソ淋しいことが分かった.来年は宮前,ぐっさんの二人だけでもフェリーに乗せよう.最終的に同期が少ない勢同士,森と川野と一緒に飲んだ(藤林は死亡).その場では来年に向けていろいろな意気込みを聞けた.それを聞いているとやっぱ胸の中が熱くなる感じがした.あと1年,代表としてチームの運営を頑張っていきたいと思った.なんだかんだで疲れていたのか,日付が変わる前に寝た気がする.今年は甲板から一本も橋は拝めなかった.
7/25(月)
新門司港~九大までは特に何も無いので割愛.
まぁ,宮武さんが倒れるという異常事態があるにあったが.
9:30頃 九大に到着
10:00頃 トラック到着.とりあえず,テントの骨組み以外中身を全部出したのち,4人ほどトラック内に乗せて骨組みを返しに行かせた.天幕は午後に洗って翌日返すことにした.
10:30頃 ハイエース到着.こちらも中身を全部出した.その後ごみを整理しゴミ袋を全部ハイエースにぶち込んだ.荷下ろしが完了したので,あとは適宜作業場,ファンキー,全学派の片づけを行ってもらった.
10:45頃 ゴミが全部ハイエースに入ったので,クリーンセンターに行ってもらった.
12:00頃 テント骨組みの返却が終了.
13:00頃 トラック及び発電機を返却しに宮武さん,高橋が出発.その後二人の回収要因として佐藤を派遣した.
14:00頃 レンタカー返却を残して全工程が終了したため,作業場を〆た.
おわりに
今年度の鳥コンは出場1週間前からの活動停止,増え続ける感染者,不足した出場書類,悪天候,交通事故などなかなか波乱の展開が続いた.そのような困難に直面しておきながらもちゃんとフライトを行えたのはとても良いことだと思った.結果は振るわなかったが,とりあえず気持ちを切り替えて来年度に向けて動き出そうと思う.先ほども書いたが,QX-23の活動はもう始まっているのでいつまでも凹んでいてはいけない(とはいえこれを書くまで2週近くたった関係上ガッツリ凹んではいたのだが).QX-23の班長代は今回の結果を受けてかなりやる気があり,新しいことへの挑戦に積極的である.彼らの活動を裏から支えて実りのあるものにすることが自分の代表としての役目であると思うのでそこは叱りとやっていきたいと思う.もう一つの気づきはやっぱ同期って大切だということ.今回指揮をしていて分かったが,同期からのサポートがると大変心強いと思った.ぐっさんや宮前にはかなり助けられたんで,来年もあの二人には来てほしい.引きずってでも連れて行こうと思う.自分は要領がよくないので色々とやらかす気がする.その時は助けてね,二人とも.そんなこんなであと1年だけ我慢してください.よろしくお願いします.