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琵琶湖を振り返って2024 ver鈴木ゆ – 九州大学鳥人間チーム 作業日誌
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琵琶湖を振り返って2024 ver鈴木ゆ

琵琶湖を振り返ってを書かなきゃなぁと思っていたら、もう9月も中旬になってしまいました。皆様どうも、前代表の鈴木です。

2024年大会をもって引退しましたが、以来抜け殻のような生活を送っています。どうやら、やるべきことがあると人は強くなるようです。

さて、前置きはこれぐらいにして振り返りをしていきましょう。

  1. 事前準備

琵琶湖関連のサーバーはOBと現役を1つに統合して連絡を行った。これは来年以降も使いまわしてもいいと思う。(ハイエースって書いてあるけど借りたのはキャラバンやんけ!と当日気付いたのは内緒)

琵琶湖説明会と同時に行ったテント練習はしておいて本当に良かったと思う。来年からもぜひ続けていってほしい。

宴会の連絡等はOB LINEで行ったが、どうやら以前はOBの方が企画されていたらしい……コロナって怖いね。詳細は代表引き継ぎ資料で。

積み込み練や出発前日の積み込みもかなりスムーズだった。指示に従って迅速に動いてくれた部員には本当に頭が上がらない。

  1. 出発日

14時半ごろに新門司港へ向け出発。集合してから気付いたが、乗船名簿の名前と住所の部分は事前にみんなに書いて貰えばよかった。(車のナンバーがわからなかったので最悪どちらでもいいといえばいい。)

フェリー乗り場までは順調に着いたが、ここで乗船人数が1人少なく予約されていた事がわかった。おそらくフェリー側のミスだが、来年以降は最後に電話で確認してもいいと思う。これのせいで松尾が船内で島流しに遭ったのは言うまでもない。奴は犠牲になったのだ(写真65番) 。この広い空間に他の宿泊客もおらず、マジで1人だったらしい。ワロタ。

 

ちなみに会計の計算ミスで、フェリーの乗船費用を勘違いしており、10万円近く少ない費用しか支払い用の封筒に用意していなかった。

琵琶湖代の会計総額自体は間違っていなかったので問題なかったが、支払い時に無駄な心労を負ったのでもっとちゃんと確認しておくべきだったと思う。

  1. 前々日

神戸港着。その後は特に問題なくアートホテルに着いた。アートホテルから出て行く車が1台だけ乗車人数が多かった気がするが、気のせいだろう。

買い出しにM1メンツを連れて行き、ラーメンを食べたりバームクーヘン工場に行ったりした。中学、高校と滋賀に住んでいた森君に滋賀県の良さを聞いたが、曖昧な答えしか返ってこなかった。それでいいのか滋賀県民。

16時ごろにアートホテルにチェックインした。ただこの時に宿泊者の名簿やら電話番号やらが必要だったので、来年以降は3日間とも部員にお願いして事前に書いておいてもらうのがいいだろう。

レンタカーの受け取りは他のメンツに任せ、18時過ぎに富永君を送迎係として影島君と安全講習会に向かった。事前資料が必要と書いてあったが、全く使うことはなかった。後ろの席がティモンディだったことと、大木氏の声が大きかったこと、ウェザーニュースの人が来ていたことを除けば特筆することはない。1時間ぐらいで終わるだろうと思っていたのだが、実際は2時間弱かかった。その間車の中で待ってもらっていた冨永君、本当にありがとう。帰りに2人になんでも奢ると言ったところ、やよい軒がいいという返事が来た。僕のお財布的には助かったが、欲のない後輩だなと思った。ワシにもっと甘えていいんじゃぞ。

その後は洗濯が終わり、22時ぐらいに積み下ろしの流れを軽くミーティングしたぐらいで就寝した。

  1. 前日

トラック組は6時45分に出発、他は新幹線組の送迎やら直で向かうやらで湖岸へ。

僕と影島君は8時から選手受付があるので受付のテントへ向かった。隣が飛ん女の方で少しお話をした。今年から出場書類関連がオンラインになったり、選手受付で重心シールが配られるようになったので2022年と違って色々と楽だった。(受付時に貰える限定Tシャツは僕が頂きました。)

澤田発案の、駐車場の入り口に反射テープを貼るというのはとても良かった。もう二度と2022のような悲劇は繰り返すまい。

8時54分からトラックの積み下ろしが始まり、20分で完了した。それから40分でテント設営完了と迅速な処理に、さすがは我がチームと少し鼻が高い。

この辺りで昼食が頭をよぎったので、澤田と杉田に昼食の買い出しをお願いした。消火機の期限が切れていたのでそれもお願いした。

カウルが組めたので、13時半ぐらいに鳥コン運営本部の方へオンボードカメラと機体審査のお願いをした。その後、浦和で色々と手間取って遅くなるかもという電話があった。

15時になったので、B1 & 庄山君の送迎を向かわせた。送迎を手伝っていただいた江口さん、本当にありがとうございます。ホテルのチェックイン関連の手続きは須貝君にお願いした。

15時35分にオンボードカメラが来たが、そのすぐ後に機体審査員も到着。全部組めと指示があったので一旦後回しにして片翼の3番まで組んだ。珍しく厳しい。審査自体は特に問題なくクリア。一安心である。

17時半からプラホ見学のため影島君、芝田君を向かわせる。マナーリーダーの清掃もこの辺だった気がする。ここで東北が翌日に繰り越しと最終決定が出る。極楽湯と夕食の買い出しへと順次送り出しをしていく。

極楽湯は最後に班長+α が残ったため、男女別で極楽湯へ向かった。澤田のご両親に差し入れをいただいた。この日は色々とご父兄の方々から差し入れをいただいて本当に嬉しかった。いつも応援ありがとうございます。

極楽湯から帰ってきたらすぐに寝た。雨が降りそうだったがワンチャンにかけてテント外にベッドを置いて寝た。賭けには勝った。

  1. 当日

ホテル泊のフライトチームとB1の送迎組が2:30に起床して集まったらしい。全ッッッ然気がつかずに爆睡していました。ごめんなさい。

僕が起床したのは3時半だかそれぐらいで、正直あまり覚えていない。鳥Tは配り始めていた気がする。とりあえず鳥Tに着替え、4時半ぐらいにテントからブルシを剥がした。この辺でみんなを集めてなんか喋ったけど、この後の動きの不安から頭真っ白だったことだけ覚えている。

5時になったのでパイロットをメディカルチェックに向かわせ、駐機場は機体の動きだしを始めた。自分もだが皆がソワソワしているのを感じる。逆に落ち着いてきた。

機体の組み上げ自体は5時45分に終わった。かなり早い。主翼接合部の改良が効いたと思う。気温が上がってきたので塩分・水分補給のアナウンスもした。

7時ぐらいだったと思うけど、オンボードカメラが手間取っているのと、運営からやけに急かされたのでトリムが取れなかった。まあいいかと思いつつちょっとモヤモヤ。

8時半、桟橋に入ってから少し時間ができたので左右のトリム取りとオンボードの設置が完了した。パイロットがやけに落ち着いていたのでこいつメンタルすげーって思ってた。前パイロットのほうが謎に緊張してたしうるさかった。余計なこと言うなと思いつつ近くでずっと喋られていると皆の緊張もほぐれるのでいいか、とも思った。

8時45分、桟橋待機時の姿勢がえげつない。やはりトライデントか、それに準ずる機体支持棒は必要だったと思う。来年以降は0番中心だけじゃなく、他チームが発進時に使っている翼の支持棒みたいなのもあると待機が楽かも。

9時ぐらいに飛んだ。正直そんなに飛んでるように見えなかったけど、チーム記録更新してた。意味わからんぐらい声出た。人間って肉体にリミットかけてるんだなぁと実感した。

10時、解体が完了し引退した。放心状態でしばらく芝生で座ってた。後にこの時に連れ帰ったマダニに噛まれてワロタ。熱が発症したら20%ぐらいの確率で死ぬらしくてワロタ。なんもなかったから良かったけど。

親が来ていたので顔を出したり、同期や後輩の父兄に挨拶したりした。引退したので「代表です」と言いづらくて引退を実感した。

OBからの差し入れの昼食を取り、12時40分からテントの撤収が始まったので手伝った。去年の失敗を踏まえて早めに撤収するみたいで安心。

14時半に完全撤収したので、新幹線組を送迎した。宴会関連で車が色々ごちゃごちゃした(アートホテルに荷物を置いて、レンタカーを返却したのち徒歩で宴会会場へ移動することになった)が、最後にはどうにかなった。提案・実行してくれた桂と澤田ありがとう。

まさか宴会前に琵琶湖に突っ込まれるとは思わなかったけど。あと前々代表がスイカ持ってきたのは笑った。

レンタカー返却の際、どうやら翌日までレンタカーを借りることになってしまっていたので、その分はキャンセルした。翌日の朝に手続きが必要だったようなので、桂と手続きすることにした。確認はしっかりしておこう。

18時前になんとか宴会会場に着いた。宴会はつつがなく行われた。宴会後に二次会をすることになっていたがどうやらしなかったらしい。その辺は幹事がまとめてくれていたらしいが、先に帰らずに手伝えば良かったと桂と反省していた。杉田は流石に反省してくれ。

22時に洗濯を回し、桂澤田と会計確認してる時に谷澤が一生ダル絡みしてきた。M2にもなって酒飲んで正気無くす人が複数いるのは本当に心配してます。帰るまでが鳥コンです。

まあ、何はともあれ洗濯も終わったので就寝。疲れていたので荷物の整理は翌日にすることにした。

  1. 帰路

10時ごろアートホテル発。特に問題なく泉大津港に向かった。途中で桂と梅田のラーメンを食べに寄ったが、地下駐車場は犬小屋ぐらい狭い駐車場に停めた。あの駐車はマジでアツかった。停めた瞬間に隣の車が出たので2人でグチグチ言っていた。つけ麺は美味しかった。

フェリー上はお祭り騒ぎかと思いきや、それなりに落ち着いていた。パイロットがニッコニコで嬉しかった。M2老人会を開いたり、班長と話したりしてとても楽しかったと思う。あと初めて谷澤と恋バナ?をした。そんなキャラだっけって感じだった。彼にも色々あったのだろう。

とにかく、フェリーに乗っている全員の表情が明るかった。この光景を生涯ずっと覚えておこうと思った。

翌日、大学に戻り積み下ろしを行った。積み下ろしの荷物は作業場前に置かず、作業場に直に収めていくのがとても良い。そのひと手間があなたを救う。

  1. 振り返って

僕は本当に周りの人に恵まれていました。

まずは、QX-20から始まったT字尾翼の一つの解をこの目で見ることができたことに、関わった全ての人へ感謝の念を申し上げます。班長を、代表を、鳥人間をやっていて本当に良かったと、心から思えるフライトでした。

運営に関してですが、多少のミスはあれど致命的なものはなかったので及第点でしょう。書類作成や細々とした運営業務のために動いてくれた同期の皆には頭が上がりません。彼らがいなければ何かしらの事故は起きていたと思います。本当にありがとう。

また、製作に関してもあまり不安なところもなく(多少の揺らぎはありましたが)、例年と比べてかなりスムーズに進めてくれたように感じます。班長が優秀だと運営も楽ですね。本当にお疲れ様でした。

本当に、本当に楽しい鳥人生でした。あの日の琵琶湖での景色を、僕は生涯忘れることはないでしょう。ありがとうございました。

鈴木佑輔

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