OBになったM2影島です。OK本さんとエスレン飛行機飛ばしてから5年と4か月ですか。
いろんなことがありました。本当にいろんなことがありました。数々のOB (Old Birdman) がきっとそうであるように、嬉しいことも、悲しいことも、悔しいことも、後悔していることも、諦めたこともたくさんあるままです。それでも、時間切れで僕も巣立ちです。
大学生活のほとんどの記憶のそばに作業場での日々があります。5年ちょっとそこで過ごす間に大人になったんだか子どもになったんだか分かりませんが、入部したときの僕とはまるで別の人になった気がします。良かったのか悪かったのかは、きっとこれから分かるのでしょう。
班長代を終えた後輩たちの振り返ってを読んで、彼らのことを舐めていたかもなと思って反省しています。とんでもない鮮度の感情に素手で触れ、誰もいない研究室でしばし呆然としました。自身の感情とありったけの理性で向き合って生まれた言葉に、ただ圧倒されるばかりです。
僕がここで何を書いても調子外れになってしまうような気がしますが、今年の変則的な琵琶湖を比較的冷静な目で見ていた人間だと思うので、来年以降の運営のために例年と変わらぬ能天気な振り返ってと、琵琶湖の数か月前までのチームを見て考えていたことを書きました。
時系列は長くなりましたが、できるだけテンポよく、読みやすくなるように頑張りました。現場の空気感まで伝わればうれしいです。
琵琶湖の振り返り
7/17(金)
全学の鍵の問題があって、倉庫に入れるのが平日の21時までだったことを思い出し(実際は思い過ごしで、総合体育館が開いている時間は入れる)、日曜日の積み込み練のための以下の物資をB1二宮と持ってきた。全学には去年の琵琶湖からそのままと思われる赤ワゴンがあった。
- 全学倉庫
- ブルシ
- カーテンに使うサイズと思われるブルシ十数枚。ほつれがあるやつは除外した。作業場のと合わせて20枚(現場で全部使った)
- サイズわからんけどくそでかいブルシ1枚。
- 0胴テントの上にも使えるサイズと思う。絵の具の跡がある。破れとかはなさそう。
- 赤パイロン2個(駐車場入り口用。リフレクターがついているので夜でもわかりやすい)
- テント用ペグたくさん
- 結束バンドたくさん
- 蚊取り線香、虫よけスプレーとか
- 赤ワゴン3個
- チーム全体で持っている赤ワゴンは作業場で使っていた2個と合わせて5個。琵琶湖もちものリストでは4個。
- ラッシングベルト(荷締めベルト)たくさん
- ブルシ
- くまもん倉庫
- クーラーボックス2個
- キャノピー焼きの時点で全学の鍵がなかったため川平がくまモンに入れていた。
- クーラーボックス2個
7/19(日)積み込み練
- 琵琶湖持ち物リストで確認しながら。
- 発電機に使うガソリンを入れる携行缶がなぜか見当たらず、各倉庫を見て回ったがないまま。結局積み込みの日に新調した。
- そのほかは特に問題なく終わった。
7/22(水)積み込み
- 12時に作業場集合で部車に乗り、トヨレンへ。トヨレンでハイエースを受け取り、川平とニッケンに向かった。
- 都市高で車両火災があり、トラック受け取りに行く部車が渋滞にはまったらしい。
- 13:50ニッケン福岡東営業所到着。利用者登録(免許+住民票や公共料金の領収書など住所を証明する書類が必要)をして発電機を受け取った。
- ニッケンの近くにグッデイがあったのでガソリン携行缶を買って16時頃伊都キャン着
- トラックは先に伊都着、テントを積んだ状態でファンキーにいた。
- 部で持っているラッシングベルト一つが締めすぎで回らなくなり、富永一宮と3人で格闘しつつ、ハイエース積み込み開始。17時前にはハイエースに載るものの大半がファンキーに降りてきた。
- なかむー、大城、川平の3人がチェックリスト見ながらやってたので僕は無職になり、あっちこっち行ってカメラマンしてた。
- 17時頃、ラッシングベルト1個は動かないまま本気ウマ設置開始。本気ウマは狂気だろってぐらいガムテが貼られていた。
- 縦に2か所並んでテントの骨を積んでいる山のうち、片方がベルト1本で止まっているため、それが崩れたときに0番胴接パイプに当たることを主翼班長が心配した。0番の位置をスパー方向にずらすことで対応
- 18時頃、ラッシングベルトが直った。直し方をNotionに書いた。
- ウマが15個ぐらいハイエースに積み込まれた。そんなにいらん気がする。
- 0番→カウル・脚など主翼下のもの→1,2,3番
- 20:30ハイエース完了、21時トラック完了
- ファンキーの駐車場に停められていたハイエースがなぜか上の駐車場に持っていかれた。しおりにはそう書いてあったらしい。
- 最後の乗り込み練でまたカメラマンしてた。
7/23(木)出発
前日に都市高で事故があったのでこういうこともあるしなと出発が30分早まった。12:30ファンキー集合で記念撮影。ファンキーに集まってからトラック前に並んで写真を撮るのにちょっとグダった。日なたに出たくないとかいう理由らしい。基本的に鳥人間は集団行動が苦手。
真下とハイエースで出発。貝塚で間違えて高速を降りた。2人とものんきなので「ここチャリで走ったことある」などと話しながら国道3号を北上、古賀ICから都市高速に復帰して古賀SAに10分遅れぐらいで合流した。僕も集団行動ができないらしい。都市高難しい。
古賀でトミカを売っていたので買った。脚班長がNISMO Z、ごんちゃんがハイエース買ってて笑った。
門司港近くのセブンで各自買い出ししてフェリーターミナル着。
なんかフェリーターミナルのシステムエラーで乗船手続きがちょっと手間取ったが、無事発券されハイエースで乗船、駐車。17時前ぐらい。
部屋番号がドライバーたちに共有されておらず船内ぐるぐる。部屋入ってすぐ風呂いった。
積み込みからここまで、代表と旅行統括の情報共有がやや雑。風呂の帰りに大先生を見つけたので、
- だいたいの人は旅程なんて把握してない。流れに身を任せている。
- だいたいの人は鳥のしおりを見ていない
- QX-26のDiscordに書いた買い出しリストや琵琶湖サーバーの去年のやりとりなんて見るわけがない。
- 琵琶湖サーバーに流れてくる最新のメッセージを見るのがギリ
- だから必要な情報は既出でも新たに流せ
という趣旨の話をした。
一宮とタイミングが合ったので一緒にレストランで焼きカレー食べた。B4は飲んでた。気楽でよろしい。
甲板に出たら夕日が綺麗だった。
フェリーに乗るとなぜかすぐ眠くなる。20:30頃には寝た。
7/24(金)彦根着・買い出し等
3:30ぐらいに勝手に目が覚め、真っ暗な甲板で海を眺める。ロビーで高橋を発見。甲板で池辺を発見。4:30頃、明石海峡大橋をくぐる。朝焼けはあまりなし。朝焼けは雨というし、良いこと。
風呂に入って集合。6時下船。
真下とドライバーを交代してハイエースで大津SAを目指す。桂川で渋滞につかまって8:00大津SA着。551は10時まで開かないので諦め。
水を飲みすぎて頻尿の電装班長の乗った部車が30分以上遅れ、しおりの時程を守って部車以外が先に大津を出た。8:30
大津SAで助手席の真下にホテルへ電話してもらい、トラックとハイエースをチェックイン前に駐車する許可をもらった。
9時半ホテル着。大城と中里がレンタカー1台を受け取りにトヨレンへ。
B4は乗用車2台で観光へ。残りは買い出しと思われたが、買ったものを積むスペースを考慮して、富永一宮影島の3人はハイエースで遊んでいいことになった。
一宮のサングラスを探しにカインズへ。メガネの上からかけられるタイプをご所望。買い出し組と遭遇。普通のサングラスしかなく、諦めてスポーツデポへ。メガネのレンズに取り付ける色付きのレンズを3000円でゲットし、ご満悦。
餃子省で昼食。非常にうまかった。店を出た一宮が野球みたいな動きをしていた(本人自覚なし)ためバッティングセンターへ向かう。木村スポーツガーデン着。20球×4ゲーム打って満足。運動の習慣のない人はこれで汗ダラダラである。
彦根に戻り、給油してボウリング場へ。電装の二人はどちらもノーコン。サングラスを新調した人の右手親指の爪が割れた。
16時、ホテルにチェックインして即シャワーを浴びた。17時、レンタカー3台を受け取りにトヨレン彦根へ。
新幹線組の順調?な報告が上がってくる。
19時、ロビー集合してホテル前のコインランドリーで洗濯開始。3:30起きの僕はそろそろ眠い。
19:27 大城三堂森山と4人でくら寿司へ。あまり見慣れないメンツである。
翌日の朝食などの買い出しでイオンタウンに寄って21時ホテル帰還。
その間にPと代表は安全講習会、川平が乾燥しきっていない洗濯物を乾燥機にぶち込んでくれた。
乾燥機の中で山口の洗濯ネットが破断して中身が散乱していた。
翌日のため、川平&真下が買い出しに行ったシエンタから携行缶をハイエースに移す。
ハイエースチャンネルで@パイロット あした7時ハイエースで湖岸直ねと連絡。リアクションが来て安心。
ここまでの振り返ってを書いて寝る。22:51。
7/27(土)駐機場設営・機体審査
5時半起床。7時ホテルのロビー集合。胴持ちの片方がモンスター片手に登場。金曜新幹線組の京都発の連絡が入る。
ちょっと前に徳大がロビーにいて、6:45ぐらいに出発していった。たまたま入れ替わる形になったけどちゃんと連携したほうが安心できると思う。
昨日のバッティングセンター&ボウリングで一宮は筋肉痛らしい。
新幹線組を迎えに行く車と湖岸直行の車に分かれ、出発。鈴嶋とハイエースで湖岸へ。
いつもの駐車場を通り過ぎかけた。危ない。7:30湖岸着。そのままPと本部へ選手受付にいく。
7:38 新幹線組が湖岸に着き始める。ドライバーから荷下ろし場6と7どっちがいいか確認してほしいと連絡。
6がいいby脚班長
今年から湖岸にアスファルト舗装の遊歩道ができ、駐機場のアスペクト比が変わった。例年は琵琶湖に左翼を向けて機体を組むが、駐機場が横長になったため、琵琶湖に正対する向きで機体を置くことになった。
8:30ぐらいからテント組開始。ブルシ敷く→各テントの骨置く→骨組む→天幕&トラ紐&ブルシ→全体起こす
テント練はマジで大事。めちゃくちゃスムーズ。まごついたのは骨がどれがどれか分からんくなりかけたぐらい。
時間は十分あったので休憩しながら10:30ごろテント完成。0胴組み始める。
11時ぐらいまで脚カウル電装がいろいろ作業。
11時過ぎ、大城と予約していたマクドを受け取りに出発。12時マクド持って帰還。今年は人数×2.6個ぐらい買った。事前に予約していたせいか、マクド側がかなり好意的だったように思う。
12時ごろ主翼は遊歩道の後ろから主翼テントに主翼を移動(日が当たるためらしい)。他班は脚蓋電装試験。
このへんから風速が上がりだした。体感5-7ぐらい吹いてそう。風向はほぼ一定。
ここから15時に彦根駅で1年生を迎えに行くまで、ごんちゃん、きょっさん、芝田がブルシやトラ紐や土嚢を駆使して風対策をしてくれていた。
従来の0胴上のブルシが空気の粘性でテントに沿って上に引っ張られてバタバタなり、トラ紐を通しているブルシの穴が限界を迎えていた。そのため0胴上のブルシの上からトラ紐をX字にかけ、テントの骨に結ぶことで解決した。
テントそのものは土嚢袋を各テントの脚に地面から少し浮いた状態で吊ることで押さえた。これをドラえもんというらしい。(ドラえもんの足が地面から3mm浮いていることから)
風が強すぎるのでブルシカーテンをたたんだ。
0番だけの状態で土嚢が乗ったウマに固定した0番が浮くことはまずない(揚力係数1.5、8 m/sの風でも揚力は8kgf程度。0番の自重は10kgf以上)
13時 つのっち、トリム取り器組立
13:16 プロペラ部門4機残して中止
13:58 キャノピー仮固定?
14:15 呼んでいなかったが機体審査が来た。まだオンボードカメラついてないよ。
コクピット周りと各パーツごとに審査するが主翼は組まなくてよいらしい。
15:15ごろ 1年生を迎えにシエンタで彦根駅へ。
風対策で人を湖岸に残したかったのでOB車をお願いし、しおり比で2人湖岸に部員を残すことができた。
彦根駅で1年生を6人乗せてイオンタウンへ。上岡号と一緒になって入口を間違えてUターン。イオンタウンで1年生が夕食と日曜朝の朝食を買い、ホテルへ。
16:22 渋滞にはまりながらホテル着。16:43湖岸着。カウルがフィレットのガチコをしている。機体審査は結局合格しないまま今日の機体審査・オンボード取り付けが中止になったらしい。
ブルシカーテンは裾の部分を伸ばして土嚢で押さえたら強風にも耐えられたので、テントの湖側の面にカーテン設置。地面のブルシも風でバタついてペグが抜けるので土嚢で押さえる。土嚢袋が足りないので川平が買いに行っている。
16:30ぐらいに大城から飯&風呂のグループ分けが共有され、17時過ぎから第一陣が動き出す。僕は同じグループの川平が買い出しから戻ってくるまで待って行った。
今年から夜ご飯はテイクアウトで時短するというルールはなくなったらしい。実際そんなに時間をセーブできないというのが正直なところ。
湖岸から極楽湯に向かう車内で松屋をモバイルオーダーし、極楽湯の帰りに受け取り、イオンタウンで翌日の朝食を買って戻ると2時間弱経っていた(17:36-19:14)。この時間は渋滞するから結局それが律速になる。
いつも通り女子と脚蓋電装の班長以下は最後。
歯磨きして20時半頃には寝る態勢がととのった。2時頃にいったん起きたけど追い虫よけスプレーしてまた寝た。
7/26(日)フライト
4:30頃起床。丸林が朝ごはんを買いすぎて一宮にあげていた。僕の朝ごはんは焼きそばパンとカルパス。塩分がそれぞれ2.0gぐらい取れるので暑い日の屋外作業前にはおすすめ。(塩分チャージは0.1g/粒、スポーツドリンクは0.1g/100mL)
僕が起きるちょっと前に1年生お迎え組がホテルに向けて湖岸を出ている。
鈴嶋にメディカルチェックに誘われたので一緒に行った。5時半ぐらいに駐機場に戻ると脚蓋電装試験と水平取り付けしてた。
前日の残りのペラ4機に4時間かかるとして、従来の進行ならテイクオフが16時とかでもおかしくなかった。宴会は無視するとしても、日曜新幹線組が日曜のうちに伊都に着くところから逆算して、15:30テイクオフという時間的な制約が発生した。(その気になればフェリー組&OBでも飛ばすことは可能だが)それについてはいつの間にか代表・P・班長代で合意していたらしい。なかむーに全体に関わる情報の共有は雑でいいから早くほしいということも伝えた。
昨日の選手受付でもらった設計OKシール、重心シール、優勝シール×2、今しがたのメディカルチェックOKシールをカウル班に渡した。3つそろってから貼りたいという意見もあるらしいけれど、例えば夕立が来てごちゃごちゃしたときとかに紛失するリスクを考えたらもらったらすぐに貼っといてほしい。
人以外は特に入っていない簡易テントを下級生+ごんちゃん+川平とかでばらす。
急な雨が来た時の対策用に運動会テントは1つだけ残した。ブルシは上も下も全部撤去。
朝は凪で風がなく、0胴を出すときにテントを動かすので例のドラえもん土嚢とブルシカーテン・ブルシカーテンを押さえている土嚢を撤去&解体。
風がないうちに機体を組みたい(強風の時に翼だけ持ってうろうろするのが怖いのと、3番さすときに意図的にバンクさせるから尾翼マウントが怖い)
6時過ぎ、機体審査が再度来る。コクピット周りの緩衝材とオンボードがまだ来ていないのとでひっかかり、ほとんど合格だけどそこだけ直してまた呼んでと言われた。その場でなんか貼ってクリアすることを考えてもよかったと思う。
ペラがまだ飛んでいたが、8か9番機より前は移動しているように見えた(土曜に飛んだペラ機の駐機場の分は移動できる)のと、前の法政と後ろの桜美林の主翼が全部組まれているのに対し、うちは0胴だけだったのでちょっと焦る気持ちがあった。時間がたって風速が上がるのも怖かったので早めに組みたかった。前日風対策でかけたトラ紐を順番を思い出しながら逆順で外し、落下してくるブルシやトラ紐からカウルを防御しながらブルシ解体。0番側のテント2つの間隔を0番が機首からまっすぐ出られるまで広げ、0胴を湖側に出した。
僕は転回場から先には行かないので、なかむーの体力温存のため転回場まで指揮を取ることにした。
6:50 オンボード来た。7時頃Meisterが着水。
7:40 ごろ、オンボードカメラの取り付けが終了。
同じころ大城と湖岸の水分が少ないねと話をして、OBさんに水とスポーツドリンクを100本ぐらいずつお願いした。thumb upのリアクションが心強い。台車が欲しいといわれたのでお貸しした。
8時前 キャノピー本固定を駐機場にいるうちにしたいのでカウルが準備開始。OBにお願いした飲み物が届けられた。ありがとうございます。
OBのLINEグルからKTRさんの声が聞こえたので部員の人数分の昼食をお願いした。機体保持しながら食べることになると思われたのでウィダーやおにぎり等すぐ食べられるものをお願いした。クーラーボックスの空き状況を聞かれ、助かったと思った。昼頃まで待ってお願いしますと伝えた。
8:13 棄権のデッドラインの話をしになかむーが大会本部に徒歩で向かう。
8:30 なかむー帰還 順番の変更は不可とのこと。ほぼ同時にキャノピー固定完了
主翼を左1番からさす。ここからは自分が指揮を取っていたため時刻の記録がないが、10時ごろに津田沼の駐機場まで来たところで主翼が完成、13:45に中止が発表されるまでに以下のことがあった。
- 駐機場にスタッフが来て機体組まれてないけど動かせるかどうかの確認が来る。できる。移動しながら組むのはいつものこと。
- 9時半ごろ滑空機部門開始。なぜか前の法政が動かない。
- 3番まで組んで自分らの駐機場で待機していたら、前の法政の前に出られるかと聞かれる。出られる。出た。出たらその前の間隔がかなり開いていて、追いつくまでに少なくとも4,5回ぐらいは休憩を取る必要があった。窓閉じや電装のトルクチェックが入った。
- 電装班長から脚蓋電装試験を転回場より前でやりたい。可能ならさらに転回場で5回ぐらいやりたいといわれる。最悪転回場だけでもいいか?わかりました。
- 津田沼の駐機場の2機前ぐらいでまたスタッフが来て、さっき抜かした法政を前に出してほしいといわれる。
- 自分たちのタイミングで休憩しながら進んでいるとスタッフが来てあとどれくらいで動ける?5分。3分でやって。などの要求が入る。
- 滑空が大体1機15分ぐらいのハイペース(普段は平均して25-30分)で飛び始めたため一回当たりの停止時間が短く、作業しづらい。
- 津田沼の駐機場が広く開いていたため、そこで松林ギリギリまで後退して法政を前に出す。ウィングレットつけて遮光シート外してトリム取り。
- なんで遮光シート外すのかわからんくて主翼班長になんで?って聞いたらだってトリム取るからと言われ、おっしゃる通りですとなるなど。
- オンボードの映像チェックが入る。そのため鈴嶋が乗り込む。ウマ4つぐらいに全備重量がかかった。まあ5本桁時代耐えてるから大丈夫かと思ったけど良くはない。
- 脚蓋電装もここでやった気がする。
- 法政が前に出たので琵琶湖側に前進してからまた転回場を目指す。ここから先は前の法政がその前に追いついたので1機飛んでは動いて飛んでは動いての繰り返し。
- 縦安定が破綻しているフライトが何機があって、相変わらず機能していない安全審査に怒りを覚えた。
- 11:13 転回場の2機前ぐらいで全体写真撮影。
- 11:53 転回場前 転回場に法政、プラホ上飛ん女
- そろそろ法政がスロープのほうへ動くかなと思っていたら、スタッフが来て法政がテイクオフしたら大会全体が昼休憩に入るのでついていかなくていい、今から30分ぐらいは動かなくていいと言われる。メンバーと後ろの桜美林の指揮に伝え、翼に遮光シートをかけて交代で翼保持しながら待機。
- 10分?ぐらい待ったところで風速が上がってきたから飛ばせなくなる前にできるだけ飛ばすから転回場に上がってと指示される。予定変更を叫んで転回場の付け根側に立ち、転回場に上がる指示を出す。ペンチが邪魔で胴体桁の下をくぐらせた。
- このとき高胴のせいもあってそこそこの風の中、風に正対したまま頭下げできずに移動していた。浮きそうで怖かった。その辺にいた審査員の人からも危ないよと言われた。TFで使ってるようなテールの支持棒あるといいかも。
- 時計回りに90度回転するのが常だが、45度時計回りに回転したところで風に正対したためそこで止める。ウマに置いてテールガン上げ。脚蓋電装試験と1-2窓閉じを同時に開始する指示を出す。どちらも無事終了した。手が届かない左翼3番以外の遮光シートを外して待機。
- 風が強くなってきたので、主翼の前に立っている人に手で主翼を押さえるよう指示。
- 12:51 一宮からプラホ上の法政が下りてくるので転回場を空けてほしいと言われる。どこ情報!スタッフさん!転回場付近で目についたインカムつけてるスタッフ数人に確認を取る。全体に予定変更を叫んで転回場から転回場手前の砂地に戻す。風が落ち着く気配がない。Windyを見るとその時点で4m/s、14時以降19時まで5m/sの予報。どう考えても無理だった。
- 風が強すぎて飛べる未来が見えず、近くに来たなかむーに、もはや帰りたいかもと愚痴った記憶がある。
- 法政はプラホ上のまま昼休憩のアナウンスが入る。主翼班、遮光シートかけて。手空いてる人、日陰行って届いたご飯の指示。OBさんありがとうございます本当に。
- 暑かったので自分も木陰に移動してOBさんと少し話した。
- 駐機場にテント1つを立てたままなことを思い出し、KTRさんにOB6人ぐらいで駐機場に戻って、テントの脚をたたんでほしいとお願いをした。
- ずっと太陽を背にして立っていたせいで無防備だったふくらはぎが日焼けしてヒリヒリした。
- 13:15 法政が転回場に帰ってきた。
- 13:45 中止
尾翼付近にいたなかむーのところに読売のスタッフが来て、飛ばせなくてすまないということと、ねぎらいの言葉をかけられているのをキャノピーの前あたりから見ていた。代表が泣くのを初めて見た。先刻帰りたいと愚痴ったことを後悔したが、その後の駐機場の片付け・トラック積み込み・新幹線組送迎の予定のことが脳の大半を占めていた。
近くにいた同期に代表が泣くの初めて見たなと言ったら中村くんの涙に弱いわ、男泣きやもんと返ってきて、ん?と思ってよく見たらサングラスの奥の目が泣いていた。
機体をばらしてから持っていくかそのまま持って行って駐機場でばらすか考えていたところに後ろの桜美林の指揮が来て、自分らの後ろがその場でばらしてから戻るらしいんで自分らもそうしますと言われた。組んだ状態で後ろのチームの間をすり抜けるのは無理なので九大も合わせることにした。
14:17 @OBで駐機場で主翼用のウマの用意をお願いした。
転回場に戻ってきた法政の指揮にその場でばらすと伝言ゲームして主翼の解体を始めた。口を真一文字に結んで淡々とフィレットを破壊する山口をよく覚えている。
この時に思ったが中止になるような強風の中でも翼だけ移動するのは意外とできるらしかった。外した翼から湖岸道路を通って駐機場に戻っていった。
胴体と尾翼だけになったところで尾翼班がいっぱいいたので自分も大先生と駐機場に戻った。
14:40 日曜新幹線組に個人荷物の整理を、鍵を持っていた川平にハイエース積み込み開始の指示をした。
駐機場付近でごんちゃんと会い、トラック呼んでいいかと聞かれ、それぐらいあればなんとかなると考えて40分後ぐらいにトラックが来ることになった。
22の班長代の方々が主翼の保持をしてくれていた。誰かがトラックの搬入場所の近くにテントの骨を集めてくれていたが、その他トラックに積み込むものはあちこちに散乱している状態であり、誰も動いていなかった。
トラックに積み込むもの集めてきてほしい、積み込みのときと同じ順序でやるよと口頭で指示して回った。基本的に班長代は呆けたような顔をしていたが、カウル班だけなぜか搬入場所のそばでカウル関係のものを用意して待っていた。水平の固定の準備を本田くんにお願いした
駐機場のごみ袋を集めて回り、これも搬入場所のそばへ。
最初に積み込む発電機が砂の上でスタックしていたので後輩と湖岸道路に上げてトラックを待った。トラックが来たので駐機場に叫び、発電機から積み込み開始。この時は知らなかったが裏でOB車の協力のもと、1年生の送迎を開始していたらしい。
同時に川平がハイエースの積み込みを始めてくれていた。
あと誰かががトラック内の固定用にガムテとかを用意してくれたのだと思う。そこまで頭が回らなかった。ありがとう。
いつもはハーバーで機体を積んだ状態から積み込むが、機体が駐機場に帰ってきているので荷室が本気ウマだけの状態から積み込みが始まった。30分でとりあえず機体だけでも積み込んで、あとは駐車場に置いて積み込めたらいいと思っていたが、なんか30分で全部終わった。こんな状況でもいつも通りに動ける後輩たちを見て、強いチームだな思った。
この時は班長代も思ったよりいつも通りに見えたので、そんなにショックってわけじゃないのかと思ってたけど、フェリーでの様子とさっき彼らの振り返りを読んで間違いだったことを知った。
新幹線組がまだ残っていたのでシエンタで彦根駅に送った。彦根駅から湖岸の駐車場に戻ってエンジンを止めたところで緊張の糸が切れたのか、運転席で10分ぐらい動けなくなった。駐機場に歩いて戻り、自分の荷物を回収して駐機場の落とし物などを確認。最後のシエンタに乗り、駐車場のチェーンをかけてホテルに向かった。ナビと勝手につながった僕のプレイリストがリーガルリリーの「サラバ青春」(チャットモンチーのカバー)を流していた。助手席の人がやけに静かだと思って信号待ちで左を見たら、サングラスの下でまっすぐ前を見たまま声もなく泣いていた。シャッフル再生なので、その次がBon Jovi の It’s my lifeでおかしかった。
17:57 ホテルにチェックインし、部屋に荷物を置いてすぐ彦根シエンタへ。1台福岡シエンタで行った人がいた。トヨレン彦根で宴会の開始時刻を勘違いした1個上のOBに会い、シエンタを返して歩いて宴会会場へ。
新旧代表が挨拶して、ワイワイやりました。手配してくれた川平ありがとう。帰りはOBのKさんにホテルまで送ってもらいました。
7/27(月)彦根発
10時チェックアウト、ロビーで乗船名簿書いて大津SAへ。
大津SAの展望台で偶然OBの兵長さんに会えた。代表がお土産を14個買い、記念撮影をして神戸へ出発。
三宮で兒玉くんおすすめのステーキ屋さんに行き、初めてBE KOBEを見にいった。スーパーに寄って17時フェリー乗り場着。
勉強会して0:30頃には寝た。知らなかったいろんな話を聞いたり、政治の話をしたり、鳥人間の話をしたり、素敵なものをもらったりした。
7/28(火)伊都着・積み下ろし
5:30起床。6時下船。僕が運転してきた福岡シエンタbだけ違うフロアに誘導されていて、Discordに書いてはいたものの車に来たのは僕と大先生だけだった。しかも駐車した場所がランプウェイのそばだったためすぐに下船させられてしまった。もともと5人乗っていたのでさすがに誰か乗れてない人おるんちゃうかと話していたら、案の定丹羽くんが乗り損ねて徒歩で下船していると連絡があり、いつものセブンで待機して合流した。古賀から人が増えて5人になった。車内で空も飛べるはずが流れてみんなで歌っていた。
この車が伊都に着いたら5年ちょっとの鳥人間も終わりかと思ったが、意外と感傷的にはならなかった。伊都に着いたら着いたでまだいろいろやることがあったのと、やはり飛ばさずに帰ってきたことで最後の1年の意味が曖昧になってしまったせいだと思う。機体製作に関しては脚班ぐらいしか関与しなかったが、ちょこちょこ作業場に邪魔しに行って後輩とくだらない話してたのも、6月7月琵琶湖の準備で代表と旅行統括の仕事に首突っ込んでたのも、なんやかんや飛ばすためだったんやということに気がついた。何をしたら終わりなんだろう、いつ引退したんかなという戸惑いは、帰ってきて3日経った今でも消えていない。
トラックの機体とハイエースのいろいろを作業場に運び込んだ。全学に置くものをハイエースに残し、トラックはテントだけ積んで課外IIへ。部車でなかむーとついていってテントを返し、トラックの簡易テントを部車に積みかえた。トラックはイーストへ向かう。全学で簡易テントを返そうとしたが、ハイエースがいて入れなかったので先にイーストでテント返却を手伝う。後輩4人がシエンタで来て手伝ってくれた。シエンタに乗っていた池辺&兒玉を借りて全学で簡易テントを返却。全学の鍵を返してファンキーへ戻る。
携行缶と発電機に残っているガソリンをポンプで部車に移し、発電機をハイエースに積む。
12:52 作業場前で班長代記念撮影。シエンタはB4が飯いってから返却するらしい。
13:21 ごんちゃん、なかむー、大先生と4人でどらで昼食を食べた。
13:40 ごん&なかむーはトラック返却、僕と大先生は発電機積んだハイエースでニッケンへ出発。
ニッケンで発電機を返し、那の津のオリックスに向かった。なんか大先生の様子がいつもと違った。早く着いたので那の津の埠頭で海を眺めたりした。オリックスでなかむー&ごんちゃんを回収し、大先生を筑紫に送り、ハイエースを返却しにトヨレン伊都へ向かった。筑紫からトヨレンの道中でなかむーとごんは電池切れで寝ていた。2人とも明らかに寝ようとした体勢ではなく、気を抜いた瞬間に意識が飛んだものと思われる。
トヨレンに高橋が個人車で来てくれた。17:16 作業場着。ヘルメットと個人荷物を回収してバイクで帰宅した。
琵琶湖の運営を振り返って
運営に関してはトラブルは極めて少なかった。借りられるテントが一つ減った(5→4)ぐらい。事故もケガ人も熱中症もでなかった。旅行統括を務めた大先生と代表務めたなかむーは本当に満点に近い仕事してたと思う。僕もちょろちょろ手伝ったけど、いなくても問題なかったやろう。駐機場の設営とか風対策はごんちゃんというスーパーマンがいたのでそのノウハウを誰でも使えるようにする(資料として残す)ことを目指した。
これだけ経験が蓄積されているチームにおいて、明確な役職のない執行代の人間にできることは正直限られている。実務が大量にあるわけではなく、状況の把握と意思決定が一番大きな仕事なので、その邪魔をしないことと肉体的・心理的な疲労をさせないことが大事。
心がけていたこと、積極的にやったことは以下
- 役職がなくても当事者の一人であるという意志をもっていること。それを示し続けること。最低限Discordのリアクションだけでもいい。
- 議論の相手になること。相手になれるだけの知識と頭を持っておくこと。
- みんなそろって同じ間違いをしていないか考え続けること。何か見つけたときは本当にマズイか慎重に考えてから、彼らが落ち着いたときに言うこと。いらぬ指摘で無駄に脳内メモリを食わせるのは最悪。
- ここまでができていれば彼らから相談や仕事が降ってくる。勝手にやるのではなく振られるのを待つこと。最悪こいつに全部任せればいいと思ってもらうこと。
- 肉体労働
- 運転
- 現場の指揮(日曜)、琵琶湖でのトラック積み込み
- 引継ぎ資料を書く
できてたかどうかは知らん。邪魔してたらごめん。
あと声通るかどうか大事ね。鼻から声出すと嗄れません。
鳥人間を振り返って(後輩たちへ)
実はQX-26の開始からずっとひっそりと書き溜めていました。今年の結末を踏まえたものではないのでだいぶ温度の合っていないものになっていますが、琵琶湖でどんな風が吹こうが何も変わらないのが工学です。
まず、5年間のうちに運悪く僕と関わってしまった方々、お付き合いありがとうございました。どっちを向いて寝たらよいか分からないくらい、たくさんの人の実務的・経済的・精神的な支援を頂き、今日まで活動することができました。これをご覧になっている方はおそらく何かしらの機会で僕と関わっていると思います。本当にありがとうございました。
これは5年間鳥人間というテーマに取り組んで僕がもらったものを、後輩たちがバッファとして取り入れてくれたらと思って書いたものです。
技術的なことに関しては2年前の「振り返って」に書ききったと思っているのでそちらを読んでほしいです。今回はマインド的な話多めです。
誰かの完成品の真似は限界があるし普通に間違う
大学に入ってからずーっともやもやしていたことなんですけど、車にしろ飛行機にしろ、いわゆる「オタク」とその対象を作る人の間には高い隔たりがあると思っています。ほとんどのケースで「作り出す人」と「受け取る人」の関係を越えるに至らず、しかしそれに気づかない場合、自分の持つ根拠のないこだわりを設計の良し悪しと混同することがあります。
例でいうと、このメーカーのエンジン音がどうこう、とか見た目とかみたいな好みの話です。最近は一部のメーカーでそういった音を要件とする開発例もありますが、ほとんどは燃費や出力や空気抵抗の要件から設計した「結果として」そうなっただけのものをなぜかありがたがっているだけです。飛行機でいうとウィングレットの見た目とか。
見ているだけで得られる情報には限界があります。QX-23の前転の理由は脚の接地点と重心の位置関係ですが、23のフライトの動画のコメント欄を見る限り、それに気づいている人はほとんどいません。重心位置が悪いと書いている人が何人かいましたが、重心位置そのものは問題ありません。
QX-24で搭載したドアノブ式操縦桿もいろんな人からユニークだ、という趣旨のことを言われましたが、自分の身体が慣れた動き(バイクの運転)で操縦したかったこと、機体の挙動と合ったUIであるべきという要件、機構の信頼性、製作性、整備性、調達のしやすさに関する要件から、考える限りで一番合理的な選択をしたつもりです。「結果として」ああいう変わった格好のものができた、というだけです。最初からドアノブありきで作ったわけではありません。作業終わりに操縦桿の機構を考えながら作業場の扉を閉めようとして「あ」となったことがきっかけです。
24のフライトそのものも、対気速度に応じて鳴るブザーが聞こえずに早く降下しすぎて、設計した速度よりもかなり高速で低空に進入したせいで長く低高度にいただけです。たまたまそこそこの記録が出て、チーム記録更新とかいうオマケまでついてしまい「低翼で水面ぎりぎり飛ぶのが最高!!」みたいなノリができてしまったのは本当に不本意でした。
鈴嶋を筆頭にわかっている人もいますが、パイロットの操縦に関しては25のような高度の保ちかた(巡航速度を守った飛び方)のほうが記録が出ます。僕もそれを目指していましたができませんでした。本当に25のフライトはもっと褒められていいと思います。少なくとも1m/sの向かい風があったことを考えれば、24よりも飛距離は30-40mぐらい上です。飛行機は空気に支配されていますが、鳥コンは地球に対する距離なのでそういうことが起きるんです。24のフライトは意図してやったことではありません。「結果として」ああなったものが切り取られているだけです。
一度頭をまっさらにして、何が必要かを整理し、それを満たすためのものを白い紙に描くことでしか辿り着けない理解のレベルが存在します。
鳥人間はこれ(根拠のないこだわり)をやっても許されます。多くの人を納得させることは不可能なので外野から文句は多少言われるでしょうが。鳥人間があくまで学生の遊びだから許されている、ということは理解しておいてほしいと思います。
プラホに上げるのは報酬ではなく投資
21、22はコロナで、25以降は安全対策(プラホの構造的な問題?)でプラホに登れる人数に制限がかかりました。30人の枠に全員は入れないのでメンバーの選別をする必要が今後もあるでしょう。
班長代・設計・代表・フライトチームは全員納得するけどその他どうするよ、っていうところで毎年悩むと思います。僕は基本的にM1M2(班長代より上)は極力減らしてB2B3を上げたが良いと思います。M1M2はプラホからテイクオフを見る経験からチームに何も還元できない(する時間がない)からです。B2なら今後鳥人間に対する大きなモチベーションになりえます。消えるかもしれなかった人が残るきっかけになったり、なんとなくコミュニティとして楽しむ予定だった人が熱をもって取り組むようになったりすることも期待できます。
もっと言うとプラホの前後のモチベーションの差分を利益とみるなら、作業量に対する報酬のようにプラホに上げる・上げないの判断をするのは理にかなっていません。たいていの人の感情論には反するので受け入れられるかどうかわかりませんが。プラホに上がることを作業のモチベにしてほしくはないです。
将来このチームを背負う人たちのエンジンに早く火を入れてあげるほうが、長い目でみればおいしいでしょう。僕がパイロットになろうと思い立ったのも、2年生のときのプラホ(QX-22)でした。パイロットって一人で戦うのがかっこいいとかいうしょうもない理由だったと思います。鳥人間に対する熱とチームに対する愛着があれば何かはできますから。
ゆっくりでいいから進化することをあきらめないで
学生チームはほとんど1年1回のサイクルで人と機体が入れ替わるシステムで動いています。社会人チームとの最も大きな違いです。だから毎年同じような機体を設計して製作するだけで結構な労力を要します。説明して理解するという作業が永遠に発生するし、技術が進歩すればするほど引き継ぐものの量が増えることになります。正直口伝だけで引き継ぐのは既に無理があります。たまたまその場にいなかった人に引き継げないという問題もあります。
だから資料を書くしかないと思って書きました。めんどくさいと感じることもあるけれど、これをやらないと進歩できません。今できていることと、今ある問題を明らかにしてからでないと、次に何をすべきかが見えてきません。単に前の年と違うことをするだけでは進歩しません。
毎年違う人間が活動しているので、毎年同じことをやってもこのサークルの存在意義はありはします。ありはしますが、それじゃ面白くない。
だからどうしたら効率よく引継ぎができるのかを考えることには価値があります。QX-25から導入したNotionは良い方法のひとつだと思います。でもまだワンドラに残ったままになっている古い資料がたくさんあります。漁って分かりやすい形にまとめてほしいです。頼む。
なんだかんだ滑空機の飛距離は大会の開始からずっと伸びてきています。他チームは基本三鷹というパイオニアの真似をしつつですが、九大は独立独歩で低翼でのチャレンジを続けてきました。しかしまともに飛んでいる常連の学生滑空チーム(鳥科、MaPPL、津田沼、上智、九大)の中で、チーム記録が最も低いのが九大です。悔しくないですか。
QX-24をやってみて、低翼が高翼より有利なのかについては正直誤差レベルかなんなら総合的(発進~着水)には不利にも思えました。翼幅が25mもある機体ならプラホを出た瞬間から地面効果が効きはじめます。高々0.5m程度主翼が低いぐらいでそんなに変わらんだろうし、500くらいの記録が出るようなコンディションならそれなりに水面が荒れています。水面が荒れているならその直上の空気も動いています。その高度を避けられる高翼のほうがむしろ良いような気さえします。
だから低翼をやめる、とはならないのがまた鳥人間だと思います。あえて少数派に行くことでその試みをチャレンジにすることができます。可能性は低くても高翼に勝てるかもしれないという一縷の望みがあるから頑張れるし、こういうユニークな機体は番組とも相性がいいです。設計の要件にエンタメが入るのが鳥人間なのです。
これが利益を出すためのプロジェクトなら話は別です。さっさと低翼と変な尾翼をやめて三鷹の真似をしてさらに改良して戦うべきです。
低翼にしろ高翼にしろ、飛距離を伸ばすための試みはまだまだできることがあります。横成分を多く含む風に対する設計をしているのはまだ三鷹だけだと思います。左に流して645m飛んだとき、ラダー操作は右に1回だけだったそうです。
あとは発進速度の向上です。26で脚班長と転がり抵抗コンテストと名付けて転がり抵抗係数を測定して車輪の選定をやり直し、今年から新しいキャスターを採用しました。
今の胴持ちの持ち方も、力が入れやすいとは言えないでしょう
そうやって毎年10歩進んで9歩戻るぐらいの亀みたいなスピードで進化を続けながら、良い風が吹くのを待つしかないんだと思います。
新しいことを始めるにはまず過去の資料から
「新しいことやってやろう」と意気込んだときに陥りがちな罠のひとつが、先行事例の調査を怠ることです。自分もまんまとその罠にはまりました。これは鳥人間に限らず、研究室での研究でも同じです。ものすごいブレイクスルーを起こす人ほど、過去の例を死ぬほど見ているはずです。この手順を疎かにすれば、研究なら教授に怒られるし、「新しいだけで意味のない」ものができたり、「惜しいところまで行った先行例があるのに、それを知らずに序盤でつまずいて挫折する」といったことが起こります。
このチームは40年以上の歴史があって、過去のいろいろな試行の跡がOneDriveやNotionに残されています。また、鳥人間はチーム間の情報開示がかなり自由です。おすすめの順としては、まず自チームの資料、次に強豪チームの交流会資料、最後にTwitterといった順番で調べていくのが良いと思います。
具体的なチームで言えば、チームあざみ野、東京理科大鳥科、都立大MaPPL、東北大Windnauts、東工大Meister(現東京科学大)、堺・風車の会あたりが参考になります。細かい作業のやり方を知りたいなら、実際に作業場や駐機場に突撃するのが一番です。
〆は守るべきだけどスケジュール通りに進めることは最優先事項ではない
QX-25以降、作業時間に関して働き方改革が進んだようで、深夜作業はかなり減ったと思います。良いことですが、その一方でスケジュールを守ろうとするあまり工学的な手続きの踏み方が雑になるような動きもちらほら見られます。本末転倒だと思います。
試験はイベントではありません。設計段階では成功することを目標としますが試験は成功することを目的にするべきではなく、あくまで単なるIF文の分岐です。スムーズに運営をしようとするあまり、やるべき検証を疎かにするのは絶対にやってはいけないことです。IF文の分岐である以上、失敗したときのシナリオを描いておく必要もあります。それができない人間は設計をしてはいけないと思います。
機体に欠陥を見つけたときの原因の究明も「原因がこうだったらいいな」という思考回路は全てなくさなければなりません。
設計はたとえプラホの上であっても、機体の状態から無理と判断(例えば縦安定の破綻とか)すればプラホから機体を捨てて帰る覚悟もしなければなりません。(鳥コンのルール上飛ばせない場合はそうすることになる)
なんで自分たちの代だけとか、先輩はみんな飛ばしてるのにとか、他の部員からの期待とか、そういうものを全部捨てて、その時の条件だけをもとに、冷静に決断できる人間が必要です。たとえパイロットが飛びたいと言っても物理的に危険なら設計が止めなければなりません。
毎年飛ばしつづけることは伝統を守ることの必要条件ではないと思います。設計と製作と検証において、誰が見ても正しいプロセスを踏み続けることを守っていくべきです。仮に飛ばせなくても、スケジュールがタイトになっても、それを守れる代が優秀な代だと思います。OBたちはわかってくれるはずです。
他の学生滑空チームを見ているとこのへん怪しいチームは結構見かけます。どことは言いませんが既に手遅れになっているようなチームも何個かあるように見えます。ペラなら飛行が破綻するのでわかりますが滑空は主翼桁の強度と縦安定が確保されればある程度は飛んでしまうのでわかりにくいと思います。
アクセルを踏むのもブレーキを踏むのも設計です。
ブレーキを持たない車をよくわかってない人たちがみんなで後ろから押すような状態は危険です。
主体となる人間が毎年入れ替わっていくという学生チームゆえの特徴が、こうした判断に悪い影響を与える(強行しがち、都合よく解釈しがちになる)ことがあるということを、頭の片隅に置いて、常に恐れておいてほしいです。そうでなくとも人間は自らの間違いを認めることを嫌がる生き物なので。
このへん知りたい人はマシュー・サイドの「失敗の科学」を読むことをおすすめします。理系図書館にありますので是非。
後輩・同期へ(自分語り)
ぼくにとって鳥人間はもともとお気持ちでしか動けなかった人間が定量的に考えることができるようになったきっかけ、飛行機にほとんど関心がなかった人が飛行機を好きになったきっかけになりました。感情と論理をある程度分離して考えられるようになったのも鳥人間のおかげですね。人間がいかに多くのバイアスの中で生きているのか分からないまま社会に出るところでした。
いろんな動機を持つ人間たちを動かしてものづくりができるというのが、このサークルの一番面白いところだと思っています。一部のTwitterのおじさんたちには「技術をひたすら追い求める集団ではなくなって、マネジメントがメインの課題になったから意味ない競技」などと言われることもありますが、仕方ないんやって正解が分かってるし、運要素マシマシやねんから。ただ、彼らの言いたいことも理解できます。外から見れば、先代のパクリネタで青春ごっこをしているように見えるのでしょう。実際そういう側面もあります。これは鳥コンのルールが変わるのを待つしかありません。極端なスパン制限とか。
ただ、前年度までの結果を踏まえて設計ができているかといわれるとそんなこともない気がするのでもう少し工学としての正しい方向に頑張れると思います。
しかし、工学の話が通じる人間であることは前提として、人を動かすことも設計の仕事であり、これはサークルの設計だろうが企業の設計だろうが変わりません。こんなことは大学の授業では教えてくれませんが、設計には絶対に欠かすことのできない能力です。
入部するまでに鳥人間コンテストという名前は聞いたことがありましたが、見たことはありませんでした。本当は学生フォーミュラがやりたかったのですが、いろいろあったらしく廃部寸前で諦めました。自動車部も考えましたが、ゼロからつくるっていうのがやりたかったので鳥の教室ガイダンスに行って、作業場を見に行ったら楽しそうだったっていうのが入部の理由です。車と違って動力ないからつまんねえと思いながらも、優しい主翼班の先輩に懐柔されて、のこのこ作業場に来ていました。
B1の11月の班配属で脚班に行ったのが転機になったと思います。作業もktrさんも面白そうだと思いましたが、同期が大先生しかいなかったというのが(そのときは)正直大きかったです。キャンパス移動の話をきいてたので。最初の作業はktrさんとfjbysさんと脚マウントの取り付けの練習でした。本当にお世話になりました。脚班入って正解でした。自分で学んだことも多いですが、最初に武器とチュートリアルをもらえたからできたことです。本当にありがとうございました。
実は入部してすぐから、2年後の班長代のことばかり考えていました。どうしたらみんながサークルに残ってくれるのか、各班の班長を誰にするのかを考えて、同期LINE動かしてみたり、たまに作業場に来たやつには必ず喋りに行ってみたり。班配属の時点で大先生が融合(B3から筑紫)に行きたいって言ってるのは聞いてたから、じゃあ自分の代脚班おらんくなるやんって。それで脚班に入ったのに結果的にGPAが低すぎて僕も筑紫行きになりました。ポンコツを自覚しました。自分のことながら面白かったです。
大先生ね、唯一の同班・同期・同学科、一緒に筑紫から班長代をやりきった同志です。班長代の開始前(6月ごろ?)に、ちょっと消えそうで危ないなと思って、授業の合間の筑キャンの廊下で脚班長を押しつけました。「あのさー、パイロットと構造設計やるから脚班長やってくれん?」「いいよ」とか言ってくれるかなーと思ったら「頑張る。」って返ってきてあ、すまんって思いました。
構造設計・パイロット・脚班長を筑紫からやるのはさすがにきついってのもあったけど、いなくなるのが惜しかったです。残ってほしかった。行動・言動こそ周りに合わせることが多いけど、ずっと一人だけ違うもの見て、違うこと考えてる。いてくれたほうがいろいろ上手く回る気がしていました。
半ば強引に脚班長押し付けたから、これでよかったんかなっていう心配があったけど、24の帰りのフェリーで完璧な答えがきたんで、「ふぅ」って感じでした。
きょっさんの存在も僕にとっては結構でかくて、あんなに本能に近いところで、定量的な評価とそれに基づく合理的な行動を取れるやつがおるんやっていう衝撃を受けました。
現状に満足しないというのも彼の長所ですね。ずっと何かやってる、考えてる。かなわんって思います。構造のセンスが絶望的で、なんでもかんでもゴリラとエポでくっつけようとする癖はなんとかしてほしいですが。
なかむー、代表おつかれさん。僕の想像以上に苦労はあったみたいやね。人知れず苦労するタイプやな君。まあそういうことが分かったのも執行代やったおかげか。~~僕はやったと言えるほど仕事してないけど。~~班が違ったから班長代終わってもぶっちゃけそこまで仲良くはなくて、おりこうな同期、ぐらいの認識やってんけど、(未遂に終わった)バンドだったり今年の琵琶湖だったりでだいぶ本音っぽいものを聞けるようになった気がします。本音言うときニヤってする癖あるやろ。
僕の同期はほんまに役者がそろった代でした。癖が強いとも言えるでしょう。紙面の都合で3人しか書いていませんが、良いところと悪いところ、全員分のレポート書けるぐらいです。喧嘩してくれる人がたくさんいて、最後まで楽しかったです。同期飲みやろうね。
正直、最後まで10人も残ったのが不思議です。入部は16人ほどで特に多いわけでもなく、1年生のときはコロナ対策の人数制限で誰も琵琶湖に行っていませんし、当然応援グッズの製作もありませんでした。コロナの余韻で学祭もなかったので、模型作りもありませんでした。ほな僕の人望かあ、、(論理の飛躍)
伊藤、丸林、五瀬、つのっち、たなけん。君らのことは何も心配していません。やりたいことを探してください。ひとつアドバイスをするなら、とにかく課題を明確にすることに一番時間と労力をかけてください。明確にする、というのはときに計算して数字にする、ということになることがあります。工学の歴史は長いです。いろんなものの計算の手段があります。講義で習うことの範囲や、脚班というくくりからもどんどん飛び出していってください。そしてうまくいってもいかなくても、資料にして残してください。君らの後輩たちがまた同じように歴史を作っていってくれるでしょう。
来年まずやるべきは脚マウントの金具の強度を上げることかなあ。アルミから鉄に変えるか厚み増すか。年々機体が重くなって全備120kgfぐらいになってきたのでそろそろロール方向の変形がシビアになっているはずです。閉村式の資料に計算の跡があったと思います。
後輩みんなへのメッセージです。僕はけっこう高校の3年で性格変わったなっていう実感があって、年齢的にもそれが最後なのかなと思っていたけど全然最後ではありませんでした。18、19歳から24、25歳になるまでの間にびっくりするぐらい自分も周りも変わっていきました。それを間近で見られるのが本当に面白いです。たまらんです。しかもその原因がだいたいお互いにあるという。でもそういう影響を相互に与えるためには、仲が良いことと互いに尊敬できる関係であることが必要です。ただこれもそういった関係を築くことを目標にするのは違うと思います。それを鳥人間の目標にするのは間違いです。あくまでやりたいことをやった「結果として」そういった関係が築けることがある、というものだと思います。SNSとかの「最高の仲間!!ありがとう!!」みたいな投稿とかはそういう結果だけ見えるので勘違いしがちだと思います。それはあくまで副次的な結果に過ぎません。君たちはどうやったら記録が伸びるか、もっとよいものが作れるか、たくさん議論しながら考えてください。
なんか人生論みたいになった。個人の意見です
好きなことを見つけてください。鳥肌が立つほどわくわくして気づいたら手が動いているほど没頭できることを見つけてください。なんか見つかると思います。なんにもないっていう人はとりあえず鳥人間頑張ってみてください。もし工学部にいるのにおもろいと思ったものが工学と関係なかったら、絶対そっちに行ったほうがいいです。経歴の統一感より人生の要素ひとつひとつにちゃんと自分を動かした動機があることのほうが大事だと思っています。そういう人のほうが圧倒的に魅力的に見えます。「志望動機を考える」なんていうわけのわからん作業をせずに済みます(思ってることを言語化するだけ)。医学みたいな例外はありますが、学生時代に遊びながら数年積んだ知識量なんて就職してから余裕で巻き返せます。さっさと社会に出たいと思ったら学部で就職してもいい。インターンで知ったのですが、メーカーの研究開発職でも意外と学部卒の人がいます。周りがみんなメーカー行くから、とか○○に行ったらすごいねって言われるから、とかそういう自分と直接関係のない理由でやること・進む場所を決めるとあとあと後悔するんじゃないかなと思います。好きでやっている人にどうせ勝てません。友達とは「和して同ぜず」です。周りに合わせて埋もれに行っても埋まって終わりです。
進路の選択でも趣味の選択でも、他人に関係ないことは自分ひとりで決めきること。それが合理的な決断でもそうでなくても、「自分が選んだ」という事実がしんどい瞬間を楽しませてくれます。
航空宇宙工学科の人間じゃないと鳥人間の設計やれないとか思っていませんか?僕はGPAが低すぎて航空どころか機械にすら進めなかった人間です。なんなら理系じゃなくても独学で設計はできます。むしろ航空の学生で「誘導抵抗は何の関数?」って聞かれて「翼幅荷重」って答えられる人間がどれだけいるでしょう。同一条件下でのCpとCv(定圧比熱と定積比熱)の大小関係が説明できない熱機関系の修士もいっぱい見ました。U=Q-W (W≥0)だけで答えられる問題です。ぶっちゃけ専攻なんてたぶんあんまり関係ないです。(本来あるべき姿でないとは思いますが。)
設計する能力は与えられた問題を解くタスクでは測れないものなのかもしれません。
大学生活の大半を鳥人間に使ったことには悔いはありません。もし九大の学生フォーミュラが活動していれば鳥人間には見向きもせずにフォーミュラやってたと思いますが、これが縁というやつでしょう。まあ、そういうこともあります。
渦の真ん中にいたときは何かが破綻しないか、何かPONしていないか考え続けて対策することで精一杯でしたが、QX-24が終わってひと段落してからその重みというか、「ほんまに楽しかったんやな」っていう感想が支配的になってきました。
人間の体という有限かつ期限付きの資源の使い道として、一番元気なときに全力で打ち込んだものがあるということは、これからの人生のよりどころになるような気がしています。
もちろん当時はそんなことを気にする余裕も視点もなく、時間が飛ぶように過ぎていきましたが、そういうものでしょう。
ボートからハーバーに帰ってきたとき、MaPPLに14 m差で負けて暫定1位を逃した悔しさしか頭になかったし今でも悔しいけど、オレンジの鳥T着たみんなが笑顔だった光景が忘れられないみたいです。高々数秒程度の記憶ですが。あれだけの人数がみんな笑顔ってなかなか出会えない瞬間じゃないですか。
生涯エンジニアとして生きていくんかな。知らんけど。なんだかんだ小学生の頃の夢そのままやん。上等やん。
今年の琵琶湖のように期待した通りにいかないことはあるでしょう。大事なのはそこからどうするかです。もっとミクロなものでも同じです。作ったものが動かないとか壊れたとかあると思います。そこからどうするかです。
「私は私の世界の実験台」ってリーガルリリーが歌っていました。ストレートで卒業して就職というある程度敷かれたレールを歩くことも、そこから外れることもできます。でもそのどちらにも意味はないと思います。自分がそのときに望むほうへ進もうとすることに意味があります。
「さらば友よ、忘れてしまえよ」ってにしなが言っていました。
時に忘れてしまうくらい新しい場所で頑張ってね、という意味らしいです。別に「忘れてしまえよ」とまで言わなくていいのに言っちゃうところが僕と似ているようで好きなアーティストです。
鳥を去った後もそれぞれの夢に向かっていってほしいです。
バイバイ、鳥人間たち。