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鳥人間コンテスト2026を振り返ってver.鈴嶋

QX-25に引き続き、QX-26でもパイロットを務めておりました鈴嶋と申します。

この文章を読まれている方はご存じであると思いますが、QX-26では強風により琵琶湖での飛行は叶いませんでした。テストが終わり、時間が経つにつれて飛ばせなかったという事実が重く伸し掛かっています。宛もない悔しさと無力感が残るばかりです。頭では前を向くしかないと分かっているのですが。

この振り返っては、9割ほどは8月上旬のテスト後に書いたものです。鳥コンの放送後に少し修正しました。

まず、琵琶湖前後のスケジュールの振り返りです。来年以降飛ぶパイロットは参考にしていいと思います。ほぼ無駄な時間がなく動けています。

7/24(金)

今年は飛行機、高速バス、新快速を乗り継いで彦根まで向かいました。金曜午前新幹線でよかった気もしますが、優雅に京都旅行する気にはならなかったのと、彦根に早く着きすぎても何もすることがないので、飛行機でちょうどいい時間に着けてよかったと思います。12:35発の飛行機に乗って16:19に彦根に到着。

伊丹に着陸する直前でちょっと揺れました。この時は小型機だから揺れやすいんかなとか思ってました。高速バスの中で前日の彦根の風を確認。かなり強い。(12時以降5m/s以上で最大9くらい)Xで先に現地入りしているペラ機のチームの人のポストを見てもかなり強そう。湖岸で10m/sあったとか。0番機のハングのデモフライトもかなり風に煽られていた。これはまずいかもしれないと思い始める。ウェザーニュースで日曜の風を確認する。午後はずっとほぼ真正面から5から8くらい。この時は飛べないかもとは思っていなかった。どちらかといえば記録の心配をしていた。おそらく定常に入れたとて、これだけ正対成分が強くなると300いくか怪しそうだった。ウェザーニュースの風予報は局所的にはあんま当てにならんからな~とか考えて自分を落ち着かせた。結果的にウェザーニュースの予報通りの風が吹く。

彦根に到着してすぐに駅前のスーパーで翌日の食料、飲料を買う。ここでアクエリ2Lを2本、500mLを1本、その他ウィダーを沢山買えば熱中症になることはないはず。必要に応じて食べたいものを買おう。

30分くらいで買い出しを終え、去年森さんと一緒に行った駅前のちゃんぽん屋へ。普通に近江ちゃんぽんを食べるつもりだったが、から揚げセレクション金賞受賞と書いてあったから揚げ定食に惹かれ注文。琵琶湖でご飯を食べられる機会はこれが最後だろうとご飯は特盛に。後にこの選択は間違いだったと思い知る。

まずから揚げのサイズがめっちゃ大きい。そして脂っこい。普段なら美味しいって感じるんでしょうが、少なくともフライトの二日前に食べるものではなかったです。この日は胃がもたれて全然眠れませんでした。普通にヘルシーなものを食べるべきだったと反省しています。

安全講習会が始まる前までに買い出しとご飯は済ませて、ホテルに着いたら寝るだけの状態にするのがベストです。翌日は炎天下の中ずっと外にいるので。

18時過ぎに彦根駅で代表と合流、安全講習会へ。場所は彦根勤労福祉会館、彦根駅から歩いて5分くらい。

詳しい内容は代表の振り返り、そしてdiscordを確認してください。

去年と内容はほぼ変わらなかったと思います。違ったのはプラホからの落下防止策の説明があったのと、風が強くなる予報であることくらいでしたかね。あと恒例の危険飛行のビデオと滑空機のテイクオフの成功例・失敗例の動画を見せられました。QX-24のテイクオフが一番最初に出てくるやつです。個人的にはQX-25も入れてほしいと思ってます。

20時くらいに安全講習会が終了。すぐにホテルへ。翌日の準備をして22時過ぎに寝た。ここは夜更かしせずにすぐに寝るべきです。

7/25(土)

前述の通り胃がもたれて全然眠れなかった。5時前に目が覚めたので少しシステム制御の勉強をした。youtubeliveを見ながら朝食を食べ、7時にホテルのエントランスへ。その後影島さんの運転するハイエースで湖岸に向かう。

湖岸に着いてすぐに影島さんと第二本部に行って選手受付をした。マリンシューズとヘルメットを忘れないよう注意したいところ。このタイミングくらいで大阪公立がテイクオフ。この時間帯でも正対風が2~3m/s吹いていた。去年のこの時間帯は背風で3チームくらい墜落していたのに。

具体的な時間は分からないものの、昼前には乗り込み部の組み立ては終わらせた。このくらいから益々風が強くなり始める。12時前に東北がテイクオフ。左に流れ始めた瞬間、去年の早稲田の記憶が蘇った。このまま飛べば彦根港近くの飛行禁止区域に侵入しそうだなと思っていた矢先、機首が急激に湖岸の方を向いて駐機場のエリアに突っ込んできた。駐機場の上を掠めた後、何とか波打ち際に着陸。自分でも何が起きたのか一瞬理解できなかった。プラホ右手側の陸地に突っ込みそうになった例は見たことがあったが、駐機場に突っ込んだ例は見たことがなかった。

ぱっと見た感じ、テントに衝突してそうで怪我人がいてもおかしくない状況だったので、ここで大会が終わるなと思った。奇跡的にけが人はいなかったようだが、これで大会を続行して大丈夫なのかという疑念はあった。芝浦を普通に飛ばした時はかなり驚いた。

13時過ぎ、1日目競技中止のアナウンス。

この時点でペラ機が4機残っていた。丸林に明日の風の予報を見せてもらう。13時以降6~9m/sだった。自分でウェザーニュースを確認しても同じくらい。朝は落ち着いてそう。

ペラ機で残るのは東京科学大、阪大含む4機。朝一で飛んだら確実に定常には入るだろう。旋回して戻ってきても驚かない。風が1日を通して良かったとしても滑空機の全チームが飛べるのか怪しいなと思っていた。それに翌日も風は強くなりそう。安全講習会で日曜は土曜より風が落ち着くと言っていたので、まだ分からないなと思いつつ飛ばす条件を一人で考える。

この時、翌日飛べる確率は良くて30%だなと考えていた。大会の進行状況によるタイムリミット、そして風、2つの制約があった。本格的に棄権も視野に入ってくる。discordで土曜新幹線組のB1が琵琶湖に向かって来ているとの報告を見る。きっと明日飛べる可能性が低いことなんて夢にも思っていないであろう。できれば福岡に留まっていてほしいと思っていた。胸が苦しかった。

14時過ぎくらい、フライトチーム、設計でフライトプラン、棄権の条件を話し合う。棄権の条件で自分と周りで温度差があるのは即座に感じた。皆の飛ばしたい思いは重々承知しているが、身の危険を冒してまで飛ぶつもりは毛頭なかった。ここで一番厳しい条件を出したのは自分であったが、その条件を出したことに全く後悔はないし、寧ろ妥当だったと思う。去年だったらこの判断はできなかっただろう。ここで人情を挟むべきではないのは自分が一番よく理解していた。

話し合いの結果、

  • 10時にペラ4機目が着水してなければ、審議開始(辞退も視野)
  • 12時に最終決定(風と進行状況を踏まえて総合的に判断)
  • 湖岸で4m/sあったら辞退
  • 1個前のフライトの時に先にプラホ上がって状況みせてもらえるか確認したい
  • プラホ上で4m/s:要検討、5m/s以上:辞退

という結論になった。全体設計はもうちょい風の制限を緩くしたそうだったが、自分に従ってもらった。プラホ上で4m/s台だった場合はかなり絶妙だったと思う。プラホ上で棄権する判断をして、桟橋に他チームがいる場合、機体を琵琶湖に捨てなければいけない可能性があった。飛べる可能性を探るためなら仕方がないとも思ったが、勿論そのようなことはしたくないので、転回場付近で最終的な決断をしようと思っていた。

審判長やテイクオフディレクターの方は出場者の安全なフライトを第一に考えてくださっています。不安なことや気象予報に関することは臆せずプラホ上で聞いた方がいいです。

フライトプランに関しては、正対成分がかなり強いので基本直登。ラダーで横に振るのは危険という判断になった。そもそもラダー使う旨味があんまなさそう。

プラホの斜面に対して頭2度下げて発進が濃厚だった。乗り込み練で練習しといて良かったね。

昼過ぎくらいに読売の取材を受けた。質問が明らかに去年より少なかった。ライバルチームは東京理科大ってことにした。あと毎年恒例の砂浜で仁王立ちする素材を撮らされた。”西の強豪がついに出陣!!!”みたいなナレーションをつけて流したいんだよね~みたいなことをスタッフに言われた。この素材は鳥コン本放送で一瞬使われた。ほぼ唯一の九大の出番。

17時、テール持ちとプラホ見学へ。持ち物はトランシーバー、大きいメジャーを持って行くべし。今年は間違って小さいものを持って行って3mくらいしか測れなかった。他チームが測っている様子を見て、寸法が去年と同じであることを確認した。

プラホに上る前に、翌日の安全審査、オンボードカメラ取付の時間の説明が全体に行われる。説明後、プラホに上った。B1の頃から通算で4回目のプラホ。班長代よりも上っていることになる。流石に恐怖心とかはなかった。ああ、いつものプラホね、去年飛んだなって感じだった。今大会から追加されたゼブラゾーン、オレンジゾーンの説明がある。特に違和感は感じない。

オレンジゾーンの幅、プラホ横側の柵の高さを測る。その後トランシーバーが通じるか次期空力設計と確認した。風速計を見ると平均7m/sはあった。最大8くらい

隣に審判長がいたので翌日の風の予報を聞いてみた。明日はコンディションは良さそうだと言っていた。今みたいな風になることはないよ~とのこと。半信半疑だった。

複数チームで集まってBerealを撮っているチームがあったり、琵琶湖を背景に記念撮影しているとこもあったりと異様だった。スタッフもそれを静止する様子はない。状況は違えど、数週間前の事故をどう捉えているのか疑問だった。去年の方が皆真面目だった。

大会1週間前の緊急説明会で、チーフプロデューサーの方が運営側だけでなく、出場者の意識改革もあってこその安全対策が必要とおっしゃっていたが、飛ぶ側がこの体たらくだと鳥人間の安全対策など死に等しい。

翌日自分が一番長く飛ぶことを決意しながらも、自分も気を付けなければとより一層気が引き締まった。

18時くらい、ホテルに向けて出発。途中でイオンに寄って19時くらいにホテル着。色々準備して21時前に就寝。

いろんなことが起きすぎた1日だった。

この日は良く眠れた。

7/26 (日)

3:30起床。5時のメディカルチェックに間に合わせるためとはいえ、結構きつかった。

5時前、影島さんを誘ってメディカルチェックへ。体温37.5度だった。去年は36.5だったのに。

駐機場に戻っている時に東京科学大がテイクオフ。長旅になりそう。

駐機場では、前日同様日陰にいた。途中オンボードとさすまた周りの緩衝材で呼び出された記憶がある。阪大が着水する直前で限界がきて爆睡した。東京理科大のフライトの歓声で起きた。気づいたらフレアかけてました。圧巻のフライトだったらしいですね。

ここの段階で10時前。去年はこの時間にはフライトも解体も終わってyoutubeliveに出演していた。阪大が9時過ぎに着水したため、前日決めた審議をすることはなかったが、依然として厳しい状況ではあったと思う。

ここら辺から移動を開始する。ここでも日陰にいるようにした。去年は4番機なのであまり気にならなかったが、直射日光を浴び続けると結構体力削られるので日傘を持って行くべきだったかもしれない。

11時くらいまでは本当に風が穏やかだった。朝の6時台の琵琶湖を見ているようだった。沖の波も穏やかなように見えた。昨年は9時前のフライトだったが、その時の方が風があっただろうし波も立っていた。

移動中は緊張していた。2年目だから緊張しないだろうと思っていたが、ちゃんと緊張した。途中でOBの方々が声を掛けてくださって本当にありがたかった。フライトに対しての緊張というより、風の急変のことがずっと頭にあった。ここでもウェザーニュースを確認していたが、前日の予報と全く変わっていなかった。ちょうど午後が風の変わり目の予想だった。この穏やかなコンディションの中で九大が飛べるかは大分怪しい。転回場付近で風が変わるのが一番嫌だなと思っていた。飛ばすのか否か完全に自分の判断になってしまうと思っていたから。人情抜きで判断するにしても、飛ばさない、棄権するという判断は重かった。その分緊張したし胃が痛かった。ここまで炎天下の中機体を運んでもらって、自分は日陰で休んでいるだけにも拘わらず、飛ばさないという判断をしてしまったら自分はどう思われるんだろうかとか一瞬考えたりもした。まあでもここはドライに判断するべきだろうなとは考えていた。

飛ん女くらいから風が強くなり始めた。コースはほぼ直登。もうそのくらいしかできることがないという状況。法政がプラホに上ったタイミングでFlightworksの方が転回場に降りてきた。風の状況を伺うと、フライト時の風は3m/s強くらい、今は4~5m/s吹いている。うちの結果は330くらいだったけど実際は400ちょい飛んでるんじゃないかなとのことだった。コースは直登で横に流すのは絶対危ないからやめときなとのアドバイスを貰えた。

もうどうしようかといった感じだった。風は益々強くなっていく。法政もプラホの上から飛ぶ気配がなかった。大会は休憩時間に。そうこうしているうちに法政が降りてきた。このあたりで読売のスタッフが耳元でヒソヒソ話始めてから、急に自分を撮り始めるようになった。マイクも持って録音もされていたと思う。ここでもう大会は中止になるなと察した。

法政と桜美林のPが転回場で話していたので自分も話しかけた。桜美林のPは去年わざわざ伊都まで来てくださっていたので面識があった。法政のPからプラホ上の状況を聞く。大体6~7m/sあるとのこと。ああ、終わったなと思った。

トイレ横の階段に同期のフライトチームと座っている時にあのアナウンスを聞いた。カメラがやけに寄ってくるので、もうそろそろ放送が来るだろうなと思っていた矢先だった。放送を聞いた直後の本当に正直な感情は安堵だった。この風で飛ばなくていいんやと思った。飛ばさないという判断を自分で行わなくても良いという意味での安堵も多少あったと思う。

すぐに隣にいた同期のテール持ち、胴持ちにはお疲れ様と声を掛けた。飛ばせなかった事実は受け入れられなかったが、お互い頑張ってきた事実は確実にあるので”お疲れ様”としか言えなかった。周りを見ると泣いている人をカメラが撮っていた。

アナウンスの後、待ち構えていたかのようにカメラが近づいてきてインタビューを受けた。どんな心境かと後輩への思いを聞かれた。ここで感情を取り乱して泣いて、”これだけ努力したのに飛ばせなかった可哀そうな人”として全国放送や将来YouTubeに晒されるのは癪だったので、インタビューは真顔で答えたし、切り替えて未来に含みを持たせるような受け答えをした。去年の自分だったら来年も俺が飛びますって答えたんだろうけど、この瞬間にはもう自分の中で糸が切れてしまっていた。引き際である。

インタビューを受けた後は琵琶湖とプラホを眺めながら呆然としていた。ただただ無力だった。

気づいたら乗り込み部の解体も終わっていた。解体してくださった方ありがとうございます。

しばらく呆然とした後、次期パイロット候補に第二本部にあるプラホの模擬マットだけでも体験させてあげようという話になる。一人は駐機場に向かっていたので呼び戻しに駐機場まで向かった。

訳も分からないまま積み込みが終わり、福岡へ戻ることに。駐車場に向かう途中でヘルメットを持っていないことに気づく。中止のアナウンスを聞いたトイレ横の階段に置いたままだった。2年連続で彦根警察署のお世話になるところであった。危ない、気づいてよかった。

彦根駅のホームで完全にスイッチが切れた。去年より明らかに疲れていなかったけど。何も成し遂げていないまま福岡に戻らなければならないのが辛かった。帰りの新快速と新幹線の中ではずっと泣いていた。なんでこんなことになるんだろう。

博多に着いてラーメンを一人で食べ、22:30頃帰宅。

7/27(月)

3時間くらい仮眠をとって3:30頃起床。システム制御の勉強を始める。何とか再試対象にならずに済んだ。虚無の感情だったが問題は普通に全問解けた。

ビックどらでテール持ち、次期空力設計と会う。EN51に赴いて、風速7m/s正対風という条件でシムに乗って確認した。シムに乗らないと区切りがつかないような気がした。これまで、風速5m/s以上の正対風でシムに乗ったことは殆どなかった。多分ゲートオープンしないだろうと思っていたから。結果は、直登させて240くらいだったと思う。ただ発進直後に高度13mくらいまでふわりと持って行かれる挙動を示してから定常に入ったので、現実で安全にテイクオフすることは不可能だっただろう。ラダー切って左に流すと、左へのバンクが収束せずに左翼端から着水した。上手くいって300くらいだった。多分飛行禁止に侵入していたと思う。

自分がシムに乗っている姿を見て、テール持ちが泣いていたのが印象的だった。

一年を振り返って

QX-25で着水した瞬間、それなりの達成感があった。脱出口から出てプラホを見ると、飛んだコースはほぼ完璧。若干ピッチが上がりながら飛んだ気もするけど、致命的なミスはないはず。チーム記録は更新しただろうと思ってボートに乗り込む。

結果は思い描いていたものとは少々異なるものになってしまった。イヤホン越しに三百~と聞いて信じられなかった。この時点で来年も飛ぼうかなと思い始める。解説の鈴木さんに来年も飛べばいいじゃんと励まされる。帰りの車の中でほぼ答えは出ていた。一応テストが終わって冷静な状態で判断したかったのと、量子以外のどの学科にも行く可能性はあったので最終的な判断は8月上旬にした。ちょうど一年前くらい。

今年の班長代の方々はQX-25の時からよく一緒にいたと思います。入部してからのトータルで考えると、多分自分の同期よりも一緒にいる時間は長かったと思います。話す場面も多かったはずです。互いに信頼はあると思っていたのでPを引き受けました。自分も2年目なので、本気で優勝も学生記録も狙えると思ってました。

25は発進直後に致し方なくエレベーターを使ってしまったのと、終盤でピッチ角が大きいまま飛んでしまったのが反省点でした。今年の一年間は、シムで軽くダイブさせてから回復させる練習と低高度での操縦を重点的に練習していました。また、フレアの際にエレベーターもフルで使って粘ることを考えていました。あと次期空力設計が作ったラジコンで横風に流す練習もしましたね。去年左に積極的に振るプランを取っておけばという後悔もあったので、フライトプランに関しては常々考えてノートに書くようにはしていました。プラホ上の風と沖合に出てからの風は全く違うので、一概にその通りに飛べるとは限りませんが。

今年の東京理科も左に振って発進すれば450いったような気もします。

機械は三年前期が一番忙しいこともあり、4月以降は結構きつかったです。今年に関してはQXを飛ばすことしか考えてないです。だからこそ良い条件の中で飛んで勝ちたかったです。勝てるだけの技量は身に着けたと思っていました。これまでの1年間の過程のところでの後悔はあまりないです。全力で向き合った自信があります。これで結果が出なかったら本当に自分の能力不足なんだと割り切れるくらいにはやりました。QX-26という機体で結果を出せなかったのは無念としか言いようがありません。

最後に

様々な方に助けられてパイロットとして二年間過ごしたと思います。今年の鳥人間コンテストでの飛行は叶いませんでしたが、転回場まで機体を運ぶまでの一年間の過程は皆様のご支援がなくては実現できませんでした。本当にありがとうございました。

テレビで見ていた鳥人間に二年もパイロットとして関われたのは幸せなことだと思います。今年飛んで優勝したかったですが。

ここで鳥人間のパイロットは一旦区切りを付けます。鳥人間で飛ぶこと以上に達成したい夢があるので、まずはその実現に向けてまた1から尽力しようと思います。

皆さん本当にありがとうございました。今後とも弊チームへのご支援のほど、宜しくお願い致します。

QX-25,26 パイロット 鈴嶋悠大

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