お久しぶりです。新代表となりましたひぐっちゃんこと樋口です。
巷の小中学生はもうすぐ夏休みが終わりということですが、みなさんはどう過ごされたでしょうか?
私はというとお盆休み以外はごく普通の生活を送っておりました。
お盆休みがあっただけでもよしとしますが…笑
さて、と~~~~っても遅くなってしまいましたが、大会の振り返りをアップしたいと思います。
遅れてすみませんでしたm(._.)m
お二方ほどではないですが、長文ですので時間があるときに読んでみてね。
ところどころ記憶が抜けていますが、自分が特に関わっていたところを中心に覚えている範囲で書いていきます。
【木曜日】
伊都にて3限まで授業を受けた後、そのまま博多駅へ向かい新幹線で彦根へ。このときから当日の風のことが気になっていて、どの風でどのタイミングで判断するかをずっと考えていた気がします。
で、無事に20時過ぎに彦根へ到着。ただ、今回は到着が遅かったので僕は新幹線でご飯を食べてくるものだと思い込んでいましたが、吉松さんから「ご飯何が食べたいか石丸に聞いて」とのメッセージ。事前に確認しとけばよかった。結局ジョイフルでご飯を食べることに。
ご飯の後はホテルへ。すぐにミーティングでした。到着が遅かったこともあって、終わったときにはすでに23時。次の日のことを考えてもっと早めに終わらせるべきでした。
全体ミーティングが終わって荷物移動をしている間に吉松さんと打ち合わせをしました。ここで代替わりした後の動きについて確認。その後M1メンバーでもミーティングしました。
【金曜日】
この日のことはなぜかあんまり覚えていないのですが、、、吉松さんや石丸の方が参考になるかな?一応書いておきます。
・朝6時過ぎに起床。半には朝ごはんを食べ(すでにこの時点で多くのメンバーは食べ終わっていました)
・7時半。現地直行組みとして出発。混んでるなーと思いつつ8時前に到着。受付に入ってみるとすでにちょっとした列ができている…しかもトラックの受付はここじゃないの?と思っていましたが、後で別の場所で受付していたこと、トラック受付自体は8時前からできたことが判明。来年以降も正規の方法で搬入するなら考慮しておくべき点でしょう。
・8時40分ごろ搬入開始。トラックが駐機場付近へ到着するまで10分ほど。そこから荷おろし作業へ。9時10分に搬入完了。実質荷おろしの時間は20分弱でした。駐機場までの移動まで含めると40分はかかってたんじゃないかな?もっとスムーズにできる方法を考えないと厳しいですね。
・9時半ごろ、0胴まわり組み立て開始。同時並行でテントの組み立てを行いました。今年は場所が良くほぼまっ平らだったので、設営はそんなに苦労はしませんでした。その後各班の作業へ。
お昼に元松さんを迎えにいき、ついでに買出し。
途中自分は主翼のアイロンがけを手伝いました。その辺にあったアイロンを手に取りフィルムにそっと当てた瞬間、ジュワッと音がして穴が開きました。アイロンの温度はしっかり確認しましょう。余計な仕事を増やしてごめんなさい。
作業は続き、2度の安全審査を経た後(結局この日はシールもらえず)、自分は先に風呂へ行くことに。今回は極楽湯が開いていなかったため近くの銭湯へ。(テルマエロマエで見たことあるあの銭湯のイメージそのまんまでした。)風呂から変えるとすでにオンボードが終わっており、ひとまず夕食をとりました。その後は何してたかな…?Mappleが見学に来ていたのは覚えています。この日は早めの就寝でした。
【土曜日】
・5時半…例年通りマイクテストに起こされました。OBの方から頂いた朝食おにぎりを食べながら、風の状況を携帯でちらちら確認。
・6時半…当日ミーティング。ここで機体回収時の簡単な打ち合わせもしました。それに必要な道具類も先に持っていってもらうことにしていました。
その後安全審査を経てぼちぼち準備。テントを移動し機体を一部組み立て。トリム取りのタイミングは少し難しかったでしょうか。前にアクティブもいたし、水平線もなかなか引ける状況ではなかったですから。ただ移動までの待ち時間はすごく長かった。途中で気を失ってました(見事に写真にも収められていました)
・移動開始…この辺りからプラホ上の風を確認し、バラストを積むかを考えながら移動。朝の時点では向かい風2~3m/sの予報でしたが、移動中は風向きが全然安定しない。風の強さはそこまで変化がなかったので、後は風向だけが問題でした。
・転回場付近…この時点でバラストを積むことを決定しました。手持ちの予報とプラホ上の風向きがおおむね安定してきたこと、石丸からの要望もあって判断しました。なにより自分がここまできたらバラストを積んで飛ばしたいと思っていました。
しかしここで問題発生。垂直尾翼が動かない。完全に風に負けて0度も出ていない状況でした。このときは固定用リンク棒への取替えも考えなくてはならないと思い、石丸に一度確認。石丸からは機体のことは任せているから、そう判断したなら従う的なことを言われました。今考えたら石丸に余計な心配を掛けてしまいました。
電装から電池ボックスを変えて再度試すと言われたため、その結果を見ることに。電池ボックス交換後、しっかり尾翼が動いていることを確認し、このままプラホまであがると判断。ただこの判断は非常に難しかった。最後まで悩みました。もしプラホで垂直に問題があった場合は、すぐさまリンク棒を交換することもこの時点では想定していました。一方で、ここでラダーを使えなかったら記録はでないし石丸の飛びたいようにもできない、最大限飛行の自由度は高めたいという思いもありました。最終的には後者の判断となったわけですが。
・プラホ上…機体をプラホに置いて尾翼の稼動チェック。しかしここにきてまたも垂直が動かない。電池ボックス交換したはずなのに・・・と思っていたら「電池ボックス交換!」と聞こえて、ここで交換するのかと少し焦り。今振り返ると多分転回場で「一旦電池ボックスはこのままでいく」と電装に言われていたのですが、自分が勘違いしていました。少し機が動転していたのか。今回はきっと取材もあるだろうと淡い期待をもちつつ待っていましたが、悪いことは重なり今回も取材なし。「後どれくらいかかる?」「あと10分!」と言われたときは、背筋が凍りました。じっと交換作業を見守り、最終チェック。・・・動いた!いけるぞ!
機体補助員以外が機体から離れたあと、機体を11時方向に向け、あとは事前の打ち合わせどおり。「風向14時、風速2.7m、クリアです!」このときの声が少し震えていたのを覚えています。4回もプラホに上がっていますが、やはりあの緊張は慣れません。
「行きます!」「はい!」「2,1、GO!!」練習どおりのきれいな走り出し。飛び出してすぐにプラホ端まで駆け寄って、エレベータがくいっと動いたのと同時に機体が頭上げになったところまで覚えています。その後は、とにかく叫んでいたはず。「石丸、お前ならできるぞ!」的なことだったような。今思うとちょっと恥ずかしいですね(笑)結果はご存知の通り。
・機体回収…フライトを終え、プラホから機体回収場まで移動。回収場で1年生・石丸と合流。スタッフの方から一旦応援席側へ移動してくれと言われ、そこで取材を受けることに。途中で機体が到着したため、上級生は解体へ向かいました。ただこの時点でまだ前のチームの解体作業が終わっておらず、トラックが入れない状況でした。軍手やテープ類をトラックに積んでいたため、仕方なくそのまま解体開始。ここは反省点の一つですね。やはり解体道具は一緒に持っていくべきでした。またその途中でみたかのフライト結果を見に機体をすっぽらかして応援席側へ戻りました。
大木さんも含めてすべてのフライトが終わった後、解体を再開しました。ここで1年生は先にお風呂へ行ってもらいました。その後の宴会までの時間を考えて、風呂に行ける人からどんどん行ってもらう作戦でした。が、解体が終わって残りのメンバーも順次風呂に向かわせている最中、渋滞が発生しているとの連絡。しかも最寄の風呂候補であった山の湯には交通規制で入れないという状況。OBの方のご協力も頂いてどうにかして風呂に入れようと手配しましたが、自分たちも含め入れなかった人が続出。みなさん申し訳なかったです(大反省点その1)。来年はきっと極楽湯が開いているはずなので、ここまで苦労はしないはず…
メンバーが戻ってきて、なんとか宴会行きのバスに間に合いました。その後は、みんなで楽しい時間を過ごしましたね。
【日曜日】
朝目が覚めたのは7時前。しばらくディスタンスのフライトを眺めた後。9時すぎあたりから片付け開始。トラックを早めにいれて、発電機とテントともろもろの荷物を詰め込みました。このときの動きはみんなてきぱき動いてくれてスムーズに積み込みできたんじゃないでしょうか。しかしその後が大変でした。
ディスタンスの進みが予想以上に早く、お昼過ぎには表彰式が入るかもしれなかったため、帰りのどたばたを考えて1年生は先に帰すことに。しかしその後ディスタンスはビックフライトが続き、結局終わったのは2時半ごろ。
その間はOBの方からお昼ご飯をいただき、表彰式を待っている間にトラックの整理やなんやらやっていました。あと大木さんのところにお話聞きに行ったりしました。
表彰式が始まったのが午後3時すぎ。それが終わったのが3時半過ぎていました。この辺りからちょっとまずいなと思いつつ、急いで撤収の準備へ。新幹線組はOBの方のご協力をいただきレンタカー返却も兼ねて先に移動。残りで荷物を移動。この時点で4時半を過ぎてました。慌てて車配分を指示して、自分はハイエースに乗り竹内を拾って神戸港へ向かいました。例年だと大津SAで一旦休憩してそこでお土産なんかを買ってましたが、今年はそんな余裕もなく各車が直接フェリー乗り場へ向かうことに。トラックの給油も今回はせずに行きました。そしてなんとか全車時間ぎりぎりに到着。
撤収に関してはもっとタイムラインをしっかり把握して計画を立てておくべきでした。今年ははトラックも自由度が少なかったため大変でしたが、来年以降もこの状況になりえるため、対策は念入りにしておくべきでしょう。みなさん本当にご迷惑おかけしました。(大反省点その2)
とにかく時間に間に合うこと優先で夕食も買出しできなかったため、フェリーでは初めて食堂で食事をとることに。でも意外とおいしかったよ。来年も食堂でもいいなと個人的には思ってます。その後は部屋でちょっとだけ騒いだ後、すぐに寝ちゃった気がします。
【月曜日】
門司港に到着後、自分はトラックに同乗し伊都へ。途中給油をはさんで高速に乗りました。伊都に着いたのが10時くらい?意外と早かったですね。そこからトラックの荷物を作業場へ移し、トラックは発電機とテントを返却へ。自分は途中で研究室の用事を済ませに抜けましたが、また作業に合流して、吉松さんと各部署へご挨拶まわり。その後作業場で荷物整理とお金のチェックを済ませ、撤収は終了しました。
以上になります。ほとんど書き殴りなので、読みづらかったかもしれません。あしからず。
最後に―
この年はQX-15の設計を担当させてもらいました。頼りになる先輩方・OB/OGの方々、いつも支えてくれた同期、立派に機体を作り上げてくれた後輩、そしてこの機体を信頼し見事なフライトをしてくれた石丸には本当に感謝しています。設計者としては最低限の仕事はできたのかなと思います。
そして、これからは新代表としてチームをまとめる立場になりました。未熟な部分が多く、迷惑を掛ける場面も多々あるかとは思いますが、精一杯このお役目を果たしていくつもりなので、みなさんこれからもどうぞよろしくお願いします!
来年もいい機体を作り上げて、悔いのないよう、楽しんで活動していきましょう!
それではヾ( ´ー`)ノ~