ども~お久しぶりです。琵琶湖総飛行距離1115.25mの石丸です。
皆さん夏休み楽しんでますか?台風15号やばかったですね。
自分の家の隣のビニールハウスはぺちゃんこになってました。
反省会に間に合わず、大会から一か月経ってしまいましたがアップします。
頑張って過去最長を目指したんで、もし体力があれば読んでみてください。
まず初めに
去年同様、立派にテール持ちの役割を果たした久我、翼持ちの足立君、西部君には本当に感謝しています。本当に上手かったね。惚れ惚れしました。
一番上の学年として皆を見守っていたM2の先輩方、各班をそれぞれまとめて導いていたM1の同期達、実際に機体製作に励んでくれた後輩たち、ティンカーの方で忙しいのに現役チームにも気をかけて下さったOB、OGの方々にも感謝しています。本当にありがとうございました。
例年通り時系列順に書いていこうかと思います。
木曜
3時限まで必修の授業を受け、博多で伊都組と合流し新幹線で彦根に向け出発。去年とかはフライトの動画とか見てイメトレっぽいことをしていましたが、今年は結構落ち着いていてボーっとしていました。
移動中は特に何事もなく20時ぐらいに彦根に到着。
その後すぐに晩御飯を食べにジョイフルへ行きましたが、例年通り緊張でうどんを食べました。
夕食が済んだあとホテルに。櫻田くん我儘言ってすまんかった。おかげさまでかなりいいコンディションで金曜日を迎えられました。もし二階でうるさいと思った方がいればすみません。
ミーティングは長かった…。事前に主要メンバーで打ち合わせしておくべきだと思いました。
ミーティングが終わるとシミュレータをちょこっとやって、M1でも一回ミーティングをし、いつものメンバーで話をして就寝。
シミュレータの動作確認は伊都でやっておけばよかったと反省です。
あと重富さん作のクリスタルボックス(仮)を誰かいじれるようになっておいてほしいなぁ。
金曜
〈~0胴組み上げ〉
受付、着衣チェックを7:55くらいに行くと既に並んでいるじゃないか。ホテルから湖岸まで渋滞することも考慮しもうちょい早めに行くべきかも?来年はシードテントだから関係ないかもだけど。
結局トラックが湖岸道路に入れたのはちょっと遠い場所にして8:40頃。30分制限が入口通過からとは思わなかった。荷物積み下ろしに使えた時間は実質20分だけ。荷物を降ろすのはなんとか時間制限内で終わったけど、それからテントに運ぶのが一苦労。
次のトラックが来るまで時間が少しあいていたからよかったけど、実質的には間に合ってなかったと思う。個人荷物や工具類、機体などの積み込み方は工夫する必要があると思う。たとえばアクティブみたいに一気に機体を降ろせるようにみたいな。
0胴が組めるようになったら乗り込みの安全審査対策をしました。作業していた時から不思議だったんですが、なぜか全然焦りがなかったです。めっちゃのんびりやってました。たぶん乗り込みのせいで一回目の安全審査に間に合わなかったんだと思う…。
昼過ぎに乗り込み部を終えて電装さんとスイッチ。この時もほんと不思議なんだけど何故か竹内にスタイロの前部分に何か言葉を書いてもらった。こうして振り返ると結構舞い上がってたな~と思います。
そのあとは何してましたっけ?記憶が吹っ飛んでます笑。鈴木拓が来てなんか言ってましたけど、そのぐらいしか覚えていないです。
〈~プラホ見学、安全講習会〉
17:00頃にプラホ見学の連絡が来て、久我とともに第二本部へ。この移動中に久我がめっちゃいいこと言ったんだけど忘れちゃいました。なんだかんだ色々胸の内に溜めてるんだな~って思った気がします。
第二本部に着いたら「結構待ち時間がある」って言われたんで大木さんとぺちゃくちゃ。この時久我は空気と同化してました。
プラホ見学は飛行順で登れる順番が決まっていて、後ろのおやじーず(?)のおじさん方がま~喋る喋る。最初は相手してたけど手ごわかった。そんなこんなで一人で色々考える時間もなかったし、三回目だしでプラホに上がっても特に感じるものはなかったと思います。
やっぱりハングをやっていたからでしょうか、全然高さに対しての恐怖心はないですね。宮本さんとお話しながらテントに帰りました。
帰る途中、「この後すぐに安全講習会があるので」って言われました。たぶんこの時まだ日が出てたんじゃないかな?去年よりかなり早いな~って思いました。もしかしたら最終説明会でアクティブのおばちゃんが言った一言が影響しているかもしれません。もしそうなら意外と読売側は要求を呑んでくれるかも。
例年だと安全講習会は事務局からのお知らせ云々があって過去の事故映像で目を覚まし、weather newsの人から天気予報を聞くんですが、今年は天気予報が最初でした。
言い換えれば最初で聞くことはなくなりました。毎年ちょうどいい睡眠時間になります。Mapplの子はたぶんずっとメモとって聞いてたんだろうな~。
この時の予報は、風は例年通り昼過ぎから海風になり北から2~3m/sぐらい、天気は安定して土日とも晴れで夕立も心配なさそうとのことでした。
〈~オンボード、就寝〉
帰ったら飯だ!って思ってたらちょうどオンボードカメラが来てるって聞きダッシュで戻しました。三年目で初めてオンボードの調整に関われました。
この時OBさんのご協力がなかったらと思うと…。本当にありがとうございました。しかも調整がま~時間がかかるかかる。
やっと終わると風呂屋が時間的にやばい、ということになり急いでお風呂に。汚い格好の男どもに浴場を貸してくれたホテルのフロントの人たちには感謝です。風呂を出たのは22時頃だった気がする。
その後またジョイフルに行き晩御飯。すこぶる体調がよろしくて初めて金曜の夜にガッツリご飯が喉を通りました。その後就寝のためトラックまで移動。この時24時過ぎ位ですでに金曜新幹線の先発組がテントで寝ていてびっくりしました。来年はもうちょっと早くパイロットを寝させてあげられればいいのかな~と思います。
土曜
〈起床~転回場〉
6:30にOBになられたはずの重富さんからやさ~しく起こしていただき起床。かなりの熟睡でした。
トラック置き場からテントに帰る途中でメディカルチェックを時間通り済ませました。テントに戻った時に金曜に貰えてなかった安全審査クリアのステッカーを貰ったとのことを聞いて、ちょっとほっとしたのを覚えています。
そのあと7:30頃に前後のトリムを何故か二回取って水平線を引きました。全組の時にわかっていたのですが、左右のトリムを取るトリム取り器が劣化か何かでパイロットを乗せた状態でトリムを取れないので、機体のみで左右のトリムを取りました。自分はあまり気にしなかったですが、これはどうにか出来たことだと思います。(記憶違いかも。実は左右も取ったかも)
そのあとは後ろからボーっとみんなの機体を運んでいる姿を見てました。ただ想定外だったのは日下部さんとか歴代のパイロットの方々がティンカーのお手伝いに行かれていて、話し相手がいなかったことです。もちろん重富さんや田中さんが側にいて話せたのですが、なんというかうまく言えないんですが、パイロットの人と話すことで安心できるので、今年はその機会がなくて落ち着かず結構うろちょろしてました。
TTが始まってから風があまり良くなく、完走したチームが2チームしかいないと聞いたときは結構ビビっていました。
そんな状態の時にMappleの佐々木君がいい記録を出してくれて、ちゃんと飛ぶチームは飛べるんだな~って勇気付けられました。焦りとかは無かったです。しかも桟橋近くになった時にわざわざ会いに来てくれて風の状態を教えてくれて、しかも「頑張ってください!」とか言ってくれて、出来た人間だな~って思いました。
この後、便所の窓から大木さんが話しかけてくれて風の状態とか話してました。たしかその時チームてぷとがプラホ上に上がっていて、風の状態がコロコロ変わる微妙なタイミングで、焦りとかは無かったんですが不安はありました。ただ風が止むことはなさそうで、しかもそこそこ強そうだったのでひぐっちゃんに「バラストを積んでください」ってお願いしたら、分かっていたみたいですぐに笑顔で了解してくれました。
〈転回場~プラホ〉
転回場についてからが慌ただしかったですね。風向きが左からそこそこ吹いていたので180°転回し直したりしてましたね。
あの時テールが低くなっていて風にあおられそうで冷や冷やしました。
木山さんと合流していろいろ話をしていて、機体周辺でわちゃわちゃしてるなーと思ってたら、ひぐっちゃんがさっきと打って変わって深刻そうな顔で、「もしかしたら垂直は固定用リンク棒で飛んでもらうかもしれない」と告げてきました。この時自分がどんな状態だったかあんまり覚えてないです。ぶっきらぼうだった気がします。ひぐっちゃんには、「できるだけラダーを使って飛びたい、でも機体の事は任せているので無理そうなら固定用リンク棒をつけるかの判断は任せる」みたいなことを言った気がします。
全体のごたごたが一段落したらプラホ上での声掛けの最終確認をしました。この時は上で取材されるもんだと思い込んでました。慢心でしたね。その後、ひぐっちゃんから「ラダーはどうにかなりそうだ」と聞き、安心した反面飛ばなきゃっていう使命感みたいなものが出てきました。緊張というより丁度良いプレッシャーみたいな感じでしたけど。
プラホでの転回はいっぱいいっぱいでしたね。クレーンカメラはもうちょい配慮してくれてもいいんじゃないかと思いました。
機体を取り敢えず置いてくれたところで、ゲートオープンを宣言する外村さんと木山さんとで飛行経路を確認しました。この時には風が安定してくれていて大体1~2時方向から吹いていて沖に出てからもあまり変化がなさそうとのことでした。
なので発進の方向は11時半方向でラダーを切ってできるだけ左方向に飛ぼうと決めました。
その話をしながら取材まだかな~って思ったら、外村さんが読売の人に呼ばれて、「もうちょいで飛ぶで」って言われました。そしたら「準備オッケーですか?」と読売の人が聞いてきました。北村が「あと10分!」と答えた時は肝が冷えました。
まじかと思い木山さんに、「外村さんにできるだけゲートオープンを遅らせてもらえないか」と頼みました。まあ結果として思った以上に早く作業が終わってくれたのでよかったですが、かなりビビりました。
最後に北村が電源ボックスか何かを投げ込んだのを見て見ぬふりするしかなかったです。
〈スタンバイ〉
電装が作業を終えてカウルの中に潜り込んだ時は、バタバタして焦っていました。でもキャノピから前を見ていたら外村さんが頑なに旗を下げて首を横に振っているのを見て、スーッと集中できました。
それから「機体がプラホ端から何mの位置に置いてあるのか、また機首の方向がどこを向いているのか」に気づけたのは本当によかったです。
落ち着いて外村さんに機首の向きを指示してもらい機体を動かしてもらいました。結局端から何mの位置に置いてあるのか分からなかったですが、「どうせ練習通りにはいかない」と開き直って気にしませんでした。
改めてカウルに潜り込んだ時に、外村さんが一回頷いてくれてからゲートオープンを宣言しました。ここからは本当に落ち着いていたと思います。
練習通りひぐっちゃんから「風向き2時、風速2.?m、クリアです!」っていうのを聞いて、ちょっと一呼吸おいてから掛け声をかけました。
〈助走~発進〉
「2、1、GO!」の掛け声もしっかり聞き取れて練習通りに走り始められました。走りながら意外と早く走れてるな~と思いながら踏み切りました。
そしたら機体がすーっと加速していくのがわかったので、久我や足立君、西部君やってくれたな!と思いました。
そんな思いに浸る暇もなくバンッって脚の閉まる威勢のいい音が響いて、蓋が閉まったのを靴の先で感じました。本当にすぐ閉まって驚きました。
なので電装班の人には申し訳ないですがLEDは全く見てないです。30kgの重りを付けて乗り込み練習をするのは結構効果があると思います。初期速度は練習の時と同じか、それ以上出せたんじゃないかと思います。
〈初期降下~引き起こしand旋回~湖面への寄せ〉
無事に発進し乗り込み位置を確認して、体感で十分スピードがついたと思いアップを打ち、少し緩めつつラダーを切り始めました。
曲がり始めは鈍感でなかなか曲がらなかったので体重を入れたりとかしていたらピッチコントロールが疎かになってしまい頭上げになってしまいました。慌てて下げ舵を打って再加速しながらラダーを切り続けると段々効きが良くなっていくのがわかりました。
左翼と湖面の距離を見ながら十分に風に乗れたと思ったときにラダーを切るのをやめ、体重もニュートラル位置に戻しました。追い風に乗っていたので高度をロスするのは無駄だと思ったので去年一昨年のように積極的には湖面へは寄せませんでした。
ただ、追い風に乗れたおかげで体感での機速はかなり早くて、しかも湖面まで1mぐらいだったのでコントロールは難しかったです。
また追い風に乗っているときはハンググライダーでは頭下げ状態で定常滑空になるらしくて(すみません、なんとなく感覚ではそうだなと思うんですが言葉で説明できません)体重を少し前目にシフトしました。結果として良かったのか悪かったのかは皆と話したいところなのですが、ぶっつけ本番で体重移動での操舵をやってみました。
〈粘り~フレア〉
そんないっぱいいっぱいな状態の時に、プラットホーム上で外村さんに言われた「飛行禁止区域には入るなよ」という言葉が脳裏によぎりました。
慌てて確認すると飛行禁止区域を囲うように設置されているブイが左翼端付近に見え、右へラダーを少し切りました。
ただ切りすぎると右翼が着水する恐れがあったので、ほんのちょっとでしたが切り続けました。そんなこんなをしているとカウルの底が手に当たり始め、なんだろうと思っていたら湖面まであとちょいまで来ていました。
あと残っていた難所は自分の中でずっと課題だったフレアのタイミングでした。ただハンググライダーでは危ないので、追い風を背負っての着陸をしたことがなく、追い風でのフレアをかけるタイミングがよくわかりませんでした。写真で見直すと何とも中途半端なフレアになってしまいました。
急に機首を上にあげたため機速を殺してしまい失速の状態になってしまい着水したと考えます。風対側は無かったものの地対側は十分あったため、あのままフレアをかけずに、みたかのように突っ込むのが正解だったかなと思います。もしくはもうちょっと粘りながらフレアを打つのが及第点だと思います。
勝手に思っていたことなんですが、去年のフライトの反省点の一つ目にオーバースピードを考えていました。初期降下が急すぎてせっかくの高度をロスしているんじゃないかというものです。その反省がもしかしたら無意識のうちに出ていて、初期降下後少し高度を稼いだのかもしれません。
反省点の二つ目にトリムドラッグ(操舵による尾翼の舵角による抵抗)があり、特に水面近くでは常にエレベーターを扱うので、これを減らそうと思っていました。これは結構できたと思います。
フライト後
なんとかカウルを破りスタイロの上に立つと、謎の演出のためか「琵琶湖に飛び込め」と言われしょうがなくびしょ濡れに。
ボートの上で荻原さんに何か言われるも、記録を知るまで手応え的に400は行けたんじゃないかと思って興奮していて全然覚えていないです。
桟橋から帰ると宮本さんが待っていてくださり褒めてもらいました。メディカルチェックを終えると既に泣きそうな師匠を見つけ、そっちに行こうとするも、またもや演出のためか「待て」と指示され待機。俺は犬か…。そのあとは皆と合流してどんちゃん騒ぎでした。
日曜
朝起きてM1で集まってその日の動きをざっくり確認しました。たぶんここら辺はひぐっちゃんの方が把握していると思うので端折っていきます。と言ってもうろちょろしまくっててテントに全然いなかったんですけどね…。写真で見たけど自分もサッカー、野球に混ざりたかった…。
9時頃に竹内のTOEICお受験のため彦根駅まで師匠と三人でドライブ。今思えばこの時にまとめていろんな人に配るお土産を調達しておけばよかった。
帰ってくるといい時間だったのでトラックを取りに行き、一回目の撤収。
トラックをトラック置き場に戻して歩いて帰ってくる途中に大木さんに声をかけられ、「糸谷さん(全尾翼?の機体に乗っていたレジェンドらしい)とか来てるから日下部さんを呼んで来い」と言われました。自分は機体についてなんも知らないのでビビってひぐっちゃんと渕田にも声をかけ、四人で酔っぱらいの親父どもの愚痴というかなんというか変な話を永遠聞かされました。それなりに楽しかったけど。
ただ今思うとあのタイミングでひぐっちゃんを誘ってしまったことが良かったのか、どうだったのか…。親父どもから解放されるとすぐに表彰式でドタバタしました。
そしてそのドタバタの最中、お腹が痛くなりトイレで用を足し、立ち上がると左ポケットからmy iPhoneがボットントイレのタンクに溜まっていたう○こに突き刺さりました。本当にこの瞬間はスローモーションで見えました。
「カコン」とトイレの弁を自重で開けて、「プスッ」とまっすぐにう○こに突き刺さり(この時ディスプレイは煌々と輝いていました)、弁が閉まり姿が見えなくなりました。もう本当に後悔してもしきれない瞬間でした。
それから急いで第二本部まで走り状況を伝え、とぼとぼ皆のとこへ歩きました。
そこで思いつきました。ビニール袋があれば、もしかしたら救い出せるのではないかと。俺あったまいい~と思い、急いで事件が起きたトイレのもとへ走ると、そこには人の列が…。
あの時、あきらめがつきました。
そんなこんなで表彰式が終わって、集合写真を撮っていざ撤収となりましたが、ここからはあまり段取りよくできなかったです。
もうちょっと事前にひぐっちゃん含めM1で話しておくべきだったなと思いました。
まぁディスタンスがいつ終わって、表彰式がどのくらい時間がかかるかとか知りようがなかったので、しょうがないとこだとも思います。
なんとか皆フェリーに乗れて結果オーライでした。帰りがフェリー組の人たちは携帯の充電には十分気を付けておきましょう。
フェリーではしっぽり騒ぎ、寝て、伊都についたのはまさかの10時過ぎでした。門司で電車に乗った河野より早く着くとは思いもしなかった。
それから荷物を降ろし、テントを返して、昼ご飯を食べた後は結構くたくたでした。発電機を返しに行くトラックの運転席はひたすら無言で聞こえるのはナビの素っ頓狂な声と振動だけでした。
発電機を返す時は燃料満タンで返さないといけないんですが、発電機はトラックの荷台に載っていて、暗くて燃料ゲージが見にくいので灯りをもって給油しましょう。
伊都に無事に帰ってきたとき心底ほっとしました。一年目は何とか無事故で切り抜けました。
これで2015年度の琵琶湖の振り返りは書き尽くしたと思います。
最後になっちゃったんですが、今まで結構我儘言って自由にやってきたんで鳥人間というサークル活動をかなり楽しませてもらいました。そのせいで色々な人に迷惑をお掛けしてきたと思います。それでもやりたいように遣らせて頂いて、本当にありがとうございました。
今年の結果が学生記録更新にはなりませんでしたが、その年で風や琵琶湖の水位が異なるので、年での比較はあまり意味のないものだと思っています。それでも悔いがないといえば嘘になりますが、それでも勝ちは勝ちだし、最高の夏になりました。本当にありがとうございました。
私用で申し訳ないですが、竹内・師匠・元松さん・日下部さんに支えてもらって今の自分がいます。本当のほんとにありがとうございました!