みなさま、お久しぶりです。
鳥人間コンテスト2018お疲れ様でした。
QX-18代表の江口です。
今年の振り返りをまとめました。
だらだら書いていますので、読みにくいかもしれませんが、まあいいですよね?
さて、どこから書くべきか迷いますが、先達にならって積み込みの日からでしょうか。
7月24日(火) トラック受け取り・機体積み込み日
私は17時よりシドニーの学会にてポスター発表でした
ハギと村上くんに全て任せていました。
13:33 トラック受け取り(LINE)
14:37 発電機受け取り(LINE)
15:43 トラック今宿通過(LINE)
16:05 トラック到着(LINE)
ここでテント受け取りだったのかな?
16:28 トラック、ファンキースポット到着(LINE)
トラックの積み込みのときに駐車位置をどうするかトラブルがあったようですが、しっかりしている二人なので私は不安は無かったです。
積み込みのことは、現場にいた誰かが書いてくれることでしょう。
おかげで、琵琶湖行って困ることはなかったと思います。
唯一私がした仕事は、鳥コン事務局の方(大阪)からかかってきた、熱中症に気をつけるようにという電話連絡をわざわざシドニーで受けてLINEに書いたくらいです。
23:45 作業終了(LINE)
きっとハイエースをこの日に借りておけば楽だったんですよね。すみません。
それと、積み込みのあたりの作業日記とかサイトの更新をサイト係に言っておくのをすっかり忘れていました。(土下座)
例年は、誰かが積み込みまで書いて、無事出発しましたってサイト更新していたと思う。
去年までのサイトのLog見てみてください。
7月25日(水) フェリー組出発日
私は相変わらずシドニーにいました
記念撮影、フェリー組出発、無事に進んでいることをLINEで確認していました。
13:09 ハイエース、シエンタ受け取り@伊都(LINE)
14:05 買い出し組伊都到着(LINE)
14:49 全車両出発(LINE)
17:49 フェリー組門司港到着(LINE)
18:46 フェリー組出発(LINE)
この日には台風12号が不安視されはじめていましたね。
台風11号は影響ないなと思っていたら、よりによってもう一個台風発生するとかありえないわー
代表は21時頃シドニー出発。飛行機って寝にくい。
7月26日(木)
代表は5時頃羽田空港到着、乗り換えて9時頃福岡空港到着
7:50 フェリー組彦根に向かって出発(LINE)
11:14 フェリー組駐機場到着(LINE)
LINEで駐機場の写真確認。湖岸すれすれだったのは少し不安でした。
センターゾーンの地下食で久々に鶏天定食を食べながら
台風が心配だったので、追加の買い出しとして水を拭くウエスと土嚢袋をLINEでお願いしました。
あとは、水を撒いて、乗り込み練をやったらどうかとパイロットには伝えました。
午後には公式HPに台風のため、スケジュールが変更の可能性がありますというお知らせがでていました。
そして、博多駅の海鳴でラーメン食べながらハギが来るのを待って、
16:33 ハギと博多駅を新幹線で出発
18:59 永田くんと坂口くん博多駅を新幹線で出発
新幹線の車内では、うだうだ鳥のこと話して、後半はほぼ気を失ってました
20:20 江口、ハギ彦根駅到着
彦根駅東口でシエンタに回収してもらって、ホテルに到着しました。
私は前日からシャワー浴びてなかったので、さっとシャワー浴びました。
そして21時からホテルの一階のロビーのところで、翌日、翌々日の打ち合わせをいたしました。
打ち合わせはだいたい1時間ほどで、翌日の朝から夜までの流れを一通り話して、さらに大会当日の打ち合わせも行いました。
その後は、自分はハギや村上くん、新宅くんとフライト後どう動くかといった相談をしたと思います。
22:46 永田くんと坂口くん彦根駅到着
パイロットの永田くんや坂口くんとはホテルで23時ごろに合流したと思います。
その後、私は上村くんの部屋で、新宅くん、坂口くん、永田くんと翌日の動きやフライトについて話しました。
この時は、北もしくは北東からの向かい風を想定して、横風や追い風(背風)ならフライトはやめようくらいの話だったと思います。
その後は、電装の配置を見ながら、0時30分には部屋に戻って寝たんじゃなかったかなと思います。
7月27日(金) 機体搬入・安全審査
6:00 朝食 ネムイ(´・ωゞ)
ホテルの人に朝食の時間を早めてほしいという話がいってなくいて、前日に交渉してもらったとか、ありがとうございました。
7:00 ハイエース(江口、永田、酒井)ホテル出発
トラックは同じくらいに出発して、会場のトラック駐車場に向かったと思います。
シエンタは、当日の昼ご飯などの買い出しをしてもらってから、結婚式場の駐車場へ向かったと思っています。
7:30 ハイエースが先に結婚式場の駐車場へ到着
酒井さんに駐車場の手続きをしてもらいました。
自分と永田は受付のために、第二本部(プラホ前)のテントのところにいきました。
すでにみたかもばらの大木さんが待っていましたね。
ヘルメットと手袋を忘れていて、トラックに乗っていた村上くんに届けてもらいました。
村上くんは結局受付まで、そのまま待機してもらいました。
その頃、OBの行武さんから、宿を手配しようかという話を頂いて、村上くんと相談していました。
受付は割とスムーズにいったと思います。パイロットのヘルメットのロゴを隠すのを忘れていたくらいですかね。
チームリーダー用リボンは、機体に一番くわしい人がつけてと言われて、自分でいいか迷ったんですが、結局自分がつけていました。
宿は押さえるという判断をしたら、OBの方々がすぐに動いてくれました。本当に助かりました。
その後は、駐機場の方へと戻りました。
トラックの搬入はじゃんけんで8時30分からの予定となりました。
戻った頃には、ハイエースからほとんど荷物が降ろされていたような気がします。
自分たちはブルーシートや馬、土嚢の準備をしながら搬入を待っていました。
9時くらいには準備はほぼ終わり、待機状態だったかなと思います。
9:11 トラック駐車場出発(LINE)
9:20 この頃にはトラックが駐機場の方へ来ました。
とりあえず、片っ端から荷物をおろしました。
0胴をブルーシートの中心あたりへ持ってきて、主翼はその左へ、尾翼はその右へ残りは後ろの方へ持っていったのだったかなあ。
とりあえず0胴をさして、乗り込み、電装、脚あたりから作業をはじめてもらったと思います。あとは、テントを組み始めました。
10時30分ころには、0胴はささっていて、右側にテントが一針立っていました。そして、2つ目のテントを立てようとしている段階でしたね。
11時くらいに、読売の方が来て、応援団のことを聞かれて、応援団長とか全然覚えてなかったことを思い出しました。
応援のことをちゃんと確認しておけばよかった(・ω<)テヘペロ
11時10分ころには2つ目のテントが立っていました。
テントが3つ立って、自分と新宅は主翼のチェックをしたと思います。
主翼には、ほとんど損傷は見られず、リブ材が少し剥がれている箇所があったくらいだと思います。
このあと何度か主翼の遮光フィルムが風で剥がれたことがあったので、もう少し良い方法を検討した方がいいかもしれませんね。
11:51 超先発組 博多駅発
このころだったか、カウルに窓を急遽作ってもらいました。精度が落ちるのは充分に承知していましたが、今回は安全を優先しました。
12時くらいに自分はお昼を食べたのかなあと思います(あまり覚えてない)。
お昼をほぼ食べずに頑張ってくれたみなさんには本当にお疲れ様でした。最後まで代表がしっかり管理、調整できていなくて申し訳ないです。
何度か読売の方が来られて、オンボードカメラの取り付けはいつ頃かと聞かれて、14時ころと言ったのは覚えています。
主翼の細かい修復は新宅にお願いしました。13時くらいには、応急処置が終わったと思います。
13時38分ころには、カウルがつきはじめ、垂直尾翼も取り付けが出来ていましたね。
また、このころには、オンボードカメラの取り付けの準備は完了していました。
パイロットの取材があったのもこの辺りだったかなあ。
オンボードカメラには一度依頼の電話をしたけど、留守番電話で一応留守番電話にはメッセージを残しました。その後何回か電話して相手が出たのは14時ころでした。
オンボードカメラの取り付けに来たのが14時30分くらいだったかなあと思います。
オンボードカメラが一旦ついた後に、安全審査担当の方がオンボードカメラの位置がそれでは危険だといわれて、カウル藩に急遽台座の方を削ってもらいました。
15時30分頃にもオンボードカメラを取り付けていて、正直この辺りからかなり焦っていました。
15:34 超先発を迎えに、酒井、魚谷くんが出発しました。
超先発の寺山、足立くん、馬場くんの3名と迎えの人でレンタカーの受け取りをお願いしました。
16時頃には安全審査のために翼を挿しました。
左翼の01の部分がなかなかささらなかったですね。
琵琶湖には、「まーしー!!」の呼び声が響きましたね。いや、いないのは分かってるんだけどね。
16:10 マナーリーダーの清掃活動
人はいないわ、安全審査一度も受けていないわで、自分はテンパってました。
右翼も1番はさしました。
安全審査の人たちが来て、いろいろ話しているのは見えていました。が、それよりも早く安全審査を受けられるようにしないとって感じでした。
左翼の2番を岩手大学の方にスペース譲ってもらって、さしました。
そんで、自分は2番のところにいたのでウィングレットを取ってきてもらって、つなげようとしていたくらいですかね。急に0胴付近の人に呼ばれましたね。
意味がわからないまま、とりあえず0胴のところに行ったら、よくわからないまま安全審査合格のシールをいただきました。
とりあえず、一安心して、機体の解体はもう少し作業できる人が増えるまで待っていました。
超先発組が合流したり、マナーリーダーが帰ってくるのを待って、そのあと、つないでいる翼を外しました。
16:34 先発組博多駅発(LINE)
だいたい17時くらいからプラホの見学の案内がありました。自分と永田くんで、プラットホームの見学へと向かい、そこで待機していました。
2班にわかれて、プラットホームの見学がありまして、自分たちは先のグループでした。
17:30 プラットホーム見学
自分は10mのメジャーを持って、プラホの先端の黄色と赤の境界のところから斜め右に発進するつもりで、長さを測りました。
その後は、まだ少し見学をしていました。一度翼持ちをしたことがあったからか、プラホの傾斜は正直そこまで驚かなかったですね。
事前に全然時間がないって言われていたから、思ったより時間があるように感じましたね。見学時間はたぶん10分くらいだったかなあと思います。
戻ってきたところで、機体に貼るシールを辻くんに渡しました。
18時くらいには、全チーム安全合同講習会にむかいました。
LINEでキャノピーが凹んだって知ったときは、肝を冷やした
車のなかでパイロットとなにか話した気はするんだけど、全然覚えてないです。
18:21 講習会会場に到着
だいたい18時40分くらいから始まったかなあと思います。
一応内容も下に置いときますね。
【合同安全講習会の内容】
・天気について(ウェザーニュースの方より)
明日午前中は6時~11時は雨の予報です。
11時~18時は曇りですが、風が強くなる。
18時以降は、風雨の予報です。
明後日の日曜日の0時~6時は暴風雨。
6時~12時は、降水は弱まるが、風が依然として強い。
12時以降は晴れですが、それでも7m/sの風の予報が出ています。
・大会運営について
あくまで、目標は全員が無事帰宅できることです。
1日目は7時に競技開始。
メディカルチェックは6時20分にパイロット集合。
飛行順通り飛ばすが、最悪滑空機でもフライトを断念してもらうことはあるかもしれない。
競技成立のため、順番繰り上げで去年チャンピオンだけは飛ばすこともあるかもしれない。
1日目は12時に滑空機終了を目標にしている。なので、スムーズに行くように協力してほしい。
ただし、無理に焦らず安全には充分留意すること。
午後からは琵琶湖に前日入りしてるペラ機6チームのフライトを考えている。
15時に1日目の終了を考えている。
競技終了後は、湖岸から人も機体もテントも、全て撤収すること。
翌日は機材の復旧に5時間くらいかかる予定
2日目も飛べるすきがあるなら、ペラ機の飛行を狙っている。
競技が成立しても表彰式は行わない。
運搬時も風に気をつけて、機首下げて運ぶ。
プラホの横の1段低いところは立ち入らない。
・熱中症の予防について
しっかり睡眠、朝食をとってください。
また、今日は暴飲暴食は避けてください。
明日はこまめな水分補給(20分間隔)、塩分補給を心がけてください。
20時くらいに終わって、パイロットにはパイロットTシャツを取りにいってもらいました。
なんでパイロットTシャツはLサイズなのだろうか
その間、自分はちょっと応援の話で電話対応していました。
このとき、応援の団長の電話番号が間違って伝わっていることがわかりました。どこで間違ったのかなあ。来年は連絡先を書いた紙とか準備しておくといいかもしれません。
20:10 先発組と合流するため、彦根駅到着
20:20 先発組彦根駅到着
先発組と極楽湯に行きました。
とりあえず、極楽湯に入って、パイロットにはここでご飯食べてって言いました。
このあとは、一旦ホテル組の女子3名をホテルの近くまでおくって(ちゃんと道を把握してなくて変なところでおろしてしまってすみません)、極楽湯に戻って、永田くんをホテルまでおくった気がします。
その後、琵琶湖に戻りました。(だれか乗せたのか、一人だったのかすら、はっきり思い出せない)
このあと琵琶湖で、ハギとか村上とかと講習会の内容の共有とか打ち合わせをテントの後ろのベンチのところでしたような気がする。
どこかのタイミングで説明した覚えはあるけど、なにを話したかは例によってさっぱり思い出せない。
あとは、この頃からレンタカーの鍵が一台分無いってトラブっていた。
ちゃんとレンタカーの鍵を管理するようにしておけばよかった。
23:59 後発組彦根駅到着
その後は、後発組を迎えにいって、極楽湯につれていきました。
村上くんは菊池くんと合流して、キャノピーを受け取って、琵琶湖にいったみたいですね。
このとき、後発組を迎えにいってくださったOBのみなさま、本当にありがとうございました。
極楽湯から琵琶湖に戻ったときは1時過ぎだったと思います。
早朝のホテル組へのお迎えは、代表はいたほうがいいって話になって、寺山にお任せしました。が、ちゃんと話ができて、ホテル組には少し迷惑をかけてしまったかなと思います。本当にごめんなさい。
1時30分くらいにはテントの近くのブルシで銀マットと寝袋ひいて寝たかなと思います。
7月28日(土) フライト日
とっくに日付は変わってたとかいわない
一旦3時30分ごろに起きて、しばらくはそのまま横になっていました。
それでも4時くらいには、活動をはじめていたと思います。
電装や、脚、蓋辺りはもっと早くから作業していたのかなあと思います。
もう記憶があいまいですが、
とりあえず鳥Tに着替えて、雨対策のブルーシートの壁を剥がしたりしていました。
朝食は5時前くらいにOB・OGの方々が差し入れしてくださいましたね。
その後は、テントの中央の屋根のブルーシートを剥がしました。
そして、機体まわりのテントを移動させるようにお願いしたと思います。
脚、蓋周りをやっていた人には、焦りで急かしてしまってすみません。
6時過ぎには0胴だけで前後のトリムを取っていたと思います。
そして、6時20分ギリギリにパイロットをメディカルチェックに送り出しました。
その後は、テントや荷物は後ろに持っていってもらって、機体は翼をつなげはじめたと思います。
6時36分には、全てのシールが貼られていますね。いつシール貼り終わったんだ(?´・ω・`)
そのあとは、事務局の人に言われながら、機体を移動させて、左右のトリムをとりました。
あとは、前の機体の様子を見ながら、とにかく運ぶことと、作業が全て終わることに神経をつかっていました。
とはいっても作業は班長がしっかり動いてくれたので、指示をするようなことはほぼなかったと思いますが。
メガホン?はどこにあったのかわからず、ひたすら叫んでました。
1年生が応援に呼ばれた時?は、あっ集合写真取り忘れたと思ったんですけど、1年生が戻ってきて、慌ててOBさんにお願いして、読売の方に少し待ってくれって言って集合写真取りました。
結局、桟橋に入る前に新宅くんと相談してバラスト部分の蓋も閉じてしまったと思います。
桟橋に差し掛かかる手前くらいには、ウィングレットまでキレイな機体ができていました。
キレイな機体を見たときは、不思議と涙が出てきてしまいまして・・・
桟橋の旋回場のところは琵琶湖に入る人とかちゃんと決めてなくてすみませんでした。
とりあえず、階段のところをつかって旋回場へ登っていって、後ろの木に当たらないように注意しながら、ゆっくり旋回したことを覚えています。
8時頃には旋回は完了していたかなと思います。
機首は、応援席側を向けていました。
あとは、少し待機して、桟橋の上で作業しながら、各班に準備できているか確認しました。
ちなみに事前にプラットホームに登る人数は話し合った上で決定しました。実は過去の記録(10年程前とか)見ると、最低人数が十数名と言われていたときもあったようで、今年の人数は内心ヒヤヒヤではありました。
たしか、この辺りからまた雨が少しずつ降りはじめていたかな。
翼やカウルを拭いていたと思います。
桟橋で給水が回っていないことには気づいたんですけど、すぐ動くという予想もあって、あえて指示は出しませんでした。
8時21分には花道でいいんでしょうか。あの坂を登っていました。
あとはプラットホームにたどり着いて、ゆっくり旋回を叫んで、機体をおろして自分の仕事は終わりました。
あとは、オンボードカメラや、電装が確認していましたね。
読売の人が急いでって言ったり、次以降のチームに発進前に時間がかからないようにしてって指示出してって言ってるのが聞こえたので、もっとプラホ上で電装あたりがスムーズに作業終わるようにした方がよかったなあって思いましたね。
8:36
「ゲートオープン」
「いきます (3)、2、1、GO!」
結局3って言ってるのか自分はよくわからないです。
機体が発進していって・・・
フライトについてはみなさんご存知の通り。
今まで見てきた中で、機体がプラットホームにすごく近かったのと、湖面に浮かんだたぶんカウルとかの発泡スチロールが見えて着水したのを実感しました。
機体の後ろにいましたが、発進は上手くいったように見えましたものの、飛行中途中で急に落ちたように見えて、パイロットが無事かはかなり心配してました。
ここからはOBですが、一応、覚えている範囲で書いていきます。
私は桟橋を降りて、機体回収のハーバーの方へ向かいました。
村上くんの指示のもと機体が回収されていくのをゆっくり眺めていました。
正直、パイロットの無事が確認できたのはこのハーバーの方へ移動してパイロットを見かけたときでした。そこでやっと緊張の糸が切れました。
OBや同期、ながちょと話しました。というか、今年は完全に泣いてしまいました。
そういえばOBも泣いてる人いましたよね?ww
機体回収はトラックが入ってくるのが遅かった印象でしたが、これは自分たちではどうしようもないところなんですかね。
その後は、機体回収を見届けて、駐機場に戻って、撤収を眺めていました。
途中からはほぼ寝てました。
他のチームのフライトはほとんど記憶に残ってないです。
お昼くらいで、OBさんたちとウィダーをコンビニに買いに行きました。
そのあとは、しばしだらだらしてた後にレンタカーの鍵が無事発見されて、一人琵琶湖に放り込まれたのを見た後、OBさんの車で極楽湯に向かいました。
極楽湯ではチケットがなくて入り口付近で大勢待機して極楽湯に迷惑をかけてしまいました。事前に車ごとにチケットを渡しておくなどできていれば、スムーズにいったかなあとは思います。
極楽湯に入って、OBさんの車で14時10分には結婚式場の駐車場に戻ってきました。
ちょっと連絡の行き違いで駐車場で待機した後、宴会場へ向かいました。
天候が不安定ななか、昨年の会場から変更があり、さらに予定を変更し宴会を無事開催させてくださった皆様、本当にありがとうございました。
またきちんと、みなさんに挨拶にいかず申し訳ございませんでした。
私が会場に到着した頃には、すでに飲食は始まっていましたね。
しばらくして、村上くんの開会の挨拶があり、新入生の挨拶があり、新OB・OGの挨拶、パイロットの挨拶がありました。
自分が挨拶で、なにしゃべったかほとんど覚えてないんですが、同期がいいこと言ってたのは少し覚えています。
急遽思いついた班紹介に協力してくれた、現役のみなさまご協力ありがとうございました。
宴会終わりは、運転できないフェリー組の自分たちはしばらく待機してました。
現役が送迎したり、荷物回収したり動いてくれてたと思います。
そのあと、現役がレンタカーの返却も終わらせました。新宅は迷子でしたね。
あとはOBさんのとってくれたホテルへ向かい、その後夕食をココスで食べたと思います。
ひたすらに眠かったです
そして、ホテルに戻って、気づいたら寝てました。
添い寝組のことは本人に聞いてください。
7月29日(日)
朝9時くらいに起きましたが、このときまでフェリーが動くか分からないって感じでした。
だいたいホテルのチェックアウトが10時前くらいだったかと思います。
挨拶用のお土産は今回はホテルで買いました。
その後は、車は各自出発しました。
新宅にハイエースのバッテリーがあがったと騙されて、一度引き返したりしました。
朝10時くらいにフェリーが動くと分かって、全車神戸のフェリー乗り場へ向かいました。
嘘です。江口とB4はお土産買いに彦根城付近に寄り道してました。
その後、ひこにゃんと一緒に、フェリー乗り場のある神戸へ向かいました。
高速道路は途中雨がひどいときもありましたが、大阪に入ることには晴天で快適なドライブだったと思います。
13時40分頃には、全車フェリー乗り場近くに到着し、そのあと、サイゼリヤへ昼ごはんを食べに行きました。
あとは、勉強組と観光組に分かれて、勉強組はサイゼリヤでそのままお勉強、観光組はカワサキワールドアンパンマンミュージアムへたどり着きました。
観光組はイオンで夕食の買い出しも済ませたあとは、フェリー乗り場へ。
18時40分ごろにはフェリー乗り場に到着して、村上くんに受付をしてもらい、乗り込みました。
フェリーの受付で鍵をもらって、部屋でゆっくりしました。
フェリーは、結局台風の影響なく順調に進みました。
フェリーの中は思ったよりも快適でした。
ちゃんと3橋制覇しましたよ
7月30日(月)
フェリーの到着は、予定通りの8時30分ころだったと思います。
無事下船しだいたい9時くらいには門司のフェリー乗り場を全車出発しました。
10時30分ころには伊都キャンパスに到着し、その後はファンキースポットで荷物の積み下ろしを行いました。
フェリー組の他に片付けに来てくれたメンバーの協力もあって、スムーズに進んだと思います。
だいたいの荷物は作業場か、ファンキースポットの倉庫に入れました。
テントは天幕だけ一回だして、簡単に掃除して畳みました。
12:37 ハイエース返却(LINE)
とりあえず、だいたい片付いて荷物を作業場にすべて詰め込んだのが13時くらいかなと思います。
15:43 トラック返却(LINE)
以上です。これまでの先輩たちよりは短いかな?
まあ、例年ならここで終わるところですが、反省会に行けないのもありまして、QX-18一年間の反省というか感想もつづけて書いておきます。
まず忘れてはいけないことは安全についてです。
今年は、大きな事故や怪我なく無事に終われたと思います。
安全講習なども行いましたが、結局はみなさんが作業や活動をするときに、安全第一で絶えず気をつけていくしかないと思います。
そして代表なんですが、そもそも代表の引き継ぎがかなり適当で、引き継ぎ資料がまとまっているわけでもなく、詳しい説明があるわけでもなく、8月くらいにUSBと鍵をほいと渡されて、その他の書類などがまとまったダンボールは1月の半ばに引き渡されて、キレイにまとめられていてもその書類をゆっくり読む時間もとれずで、チームが長い間続いているメリットが損なわれているような気がしますね。
資料を残すと考えなくなるから残さない方がいいという意見も一理あるとは思いますが、例えば部室棟のポストの番号がわかりませんとか、箱崎に借りてある倉庫の鍵の所在はわかりませんとか挙げていけばキリがないけども、そういうちゃんと引き継ぎをしておけばすぐ終わる対応にも代表としての時間をかなりとられた。ちゃんと引き継ぎをしておけば、そういった対応で費やした時間を作業とかチームの運営に費やせたと思うので、結局自分のそういった対応での成長とチームへの影響を比べると損失の方が圧倒的に大きかったと思う。
引き継ぎは早めにしっかりやったほうがいいと思いました。一応今年は事前にある程度引き継ぎをして、引き継ぎの資料はある程度のものを製作中です。今後の代表がさらに書き足していってくれればいいなと思います。
QX-18の真のスタートは、まずは、その代表を決めるところからでしたかね。作業場で同期で話し合ったのを覚えています。結局、決まらずに投票になったわけですが。
そのころから分かってた課題でしたが、代表のやることってなんだかんだ多くて、チームとしてどこか代表に集中している部分がありますよね。
例えば新しいノートパソコン買いたいって代表だけに言われても、代表だけが予算管理してるわけじゃないし、言う相手も場所も間違えてるんじゃないかと思うわけですよ。
ここの分担が上手にいってなかったのが、例えば3月教室を借りるときの遅れのような、あちこちの遅れや不備に繋がったかなあと思います。
主観だと、なんだかんだ事務関連の7~8割くらいは自分が負担したのではないでしょうか。
言い訳になっちゃいますが、仕事をお願いするのも少なからず手間も時間もかかるわけで、ときには忘れてしまうこともあるわけで、メンバーが自発的に動いてくれたり、そういったところの分担ができていけばより良いチームになっていくのかなあと思います。例えばミーティングのときに誰かが自発的に書記をやってくれるだけでも、違うのではないでしょうか
あとは、学会とか出張のときも問わず連絡がきて対応していくのは、しんどいところがありました。
それと今年は、読売からもらった書類などはほぼ全て公開・共有したつもりなので、代表だけがもっている情報というのはかなり少なかったと思います。例年だと代表くらいしか読んでなかった書類も、なるべく全員が読めるようにしたつもりです。
この運営の分担の部分は課題だと思っていながらも、解消できなかったなあと思います。それにこれが原因で全体に迷惑をかけてしまったのは本当に申し訳なく思います。
コンセプト会議はほとんど設計に丸投げしたので、なんともいえないです。私は最後に携わった機体として満足いくものでした。かなりみんなの妥協点にもっていけていたのではないでしょうか。
さて、運営のうち作業面ですが、班長をB3以下にしようというのは、自分たちが言い出したかなあと思いますが、結果はどうだったんでしょう?班長が、年がはじまった夏のB3同学年で揃っていたのは、しばらく無かったと思います。
意見が出しやすかったのか、連携がしやすかったのか、この辺は本人たちじゃないと分からないと思いますが、外野から見ていると、連携しやすい部分はあったんじゃないかと思います。同期だから連携しやすかったと言ってしまうと、やっぱり学年間で壁があるってことでそれはそれでものさびしいところもありますがね。
ただその一方で、正直、会議などでメリハリが足りないというか緊張感のなさや真剣さの足りなさを感じたときもありました。遅刻というか、時間になっても人が全然揃ってないとかもありましたよね?
それでも、私が言うまでもないことですが、今年の班長は全員、立派にその役目を果たしてくれたと思います。どちらかといえば、今年は班長の学年が下がったほうだと思いますが、それによる悪影響なんかは無かったと思います。
どの学年の誰が班長をやるといいかは、そのときのメンバーによっても変わると思いますし、今後もその都度最適なものを考えていってほしいなと思います。
で、その班長と設計、パイロット、代表が入っていたQX-18 主力なるLINEグループがありまして、そこで日程調整してそのメンバーでミーティングを何度か開きました。
各班の作業の進捗を確認したり、スケジュールの打合せ、出場申込書類の飛ばなきゃならないワケじゃない方の打ち合わせなども行っていました。
自分として、作業場に行く回数が少ないなかでも、ゆっくり班長に確認ができて各班の状況が把握できましたし、良かったです。ここに入っていない人からすれば不満もあったのでしょうかね?
ただ、その割にはしっかりと作業スケジュールの管理をやりきれなかったかなあと思います。細かいところでいえば、今週の土日は作業をするのかどうかとかもちゃんと伝えきれてなかったですよね。
あと、作業の進捗の把握はしても、結局は遅れに対してあまり手助けできることはなく、遅れなどは後輩たちに頑張ってもらった部分が多かったように思います。
自分がもっと先のことまで考えられていれば違ったと思います。
班によっても比較的順調な班と、切羽詰まってた班がありましたが、班長や上級生が先を見通せているかどうかが大きな違いの一つだったような気はします。
スケジュールの管理や共有の方法もまだまだ課題は残っていると思います。
そういえば、これは自分の影響があるのかどうかはわかりませんが、今年は本格的にLINEで連絡を取り合ったと思います。というか、鳥メの存在は忘れられていたのではないでしょうか。
チームによってLINEを使ったり、メーリングリストを使ったり、slackを使ったりと様々ですが、頻繁にチーム全体に連絡をする自分としては、既読が見える点で、鳥メよりLINEの方が良かったところはあります。
日程調整のアンケートもほぼほぼLINEの投票を使ってましたが、投票作る側としては楽でした。焼きのときも、参加のアンケート作りましたが、ある程度は参加できる人が把握できたのは良かったのではないでしょうか?もうちょっと参加者が多くなれば、シフト制とかにもできるかな?
チームの雰囲気は、良かった方なのではないでしょうか。
とはいっても、どうしても人それぞれ相性の合う人、合わない人はいると思いますし、前から思っていますが学年間や班間で大なり小なり壁があるところはあると思いますので、これが全員にとってベストの雰囲気だとは思っていませんが。
ただチームの雰囲気つくりで自分が頑張ったところなんて、特に思いつきませんので、これはメンバーの力のおかげかなと思います。
ミーティングとかでもそうですが、もう少しみんな、特に低学年の人が言いたいことを言いやすい雰囲気を作れればよかったのかなあと思います。
特に書類会議などみなさんの意見を聞きたい場面でも、全体的にあまり発言が多くはなかったかなあという印象でした。
それから勉強会とかも、もっとサポートができればよかったのですが、どうしても力が及びませんでした。自発的に勉強会をしてくれた人たちには本当に感謝しています。
もうちょっと班の垣根を超えて試作とかもできればおもしろいし、将来につながるかなとは思っていたのですが、これも上手く出来なかったかなあと思います。
作業の出席率というか参加率というか、これはもっと改善できるといいですよね。ただ、どうしたらいいかはさっぱりわかりません。
私の話をすれば、今年は後輩ががんばっているからやらないとと奮起されて作業場に行ってました。後輩の鳥人間への熱意が理解できないおじさんです
出席率は秋から冬はそこそこでしたかね。どうしても春は人数が減ってしまうところがあると思います。これは毎年同じような傾向だと思いますが、この辺りは上手に改善できないですかねえ。4月以降は作業の参加率はかなり高かったと思います。
後輩への指導も上手にいっていたほうだと思います。それでもできれば、上級生になり後輩を指導する立場の人には、作業や航空や材料などの工学のことだけでなく、教育心理学や教育工学のような教えるということも少しは勉強するといいなと思った場面はありました。
もちろんそういった内容がすべて正しいとは言い切れませんし、みなさんの独自の考え方で教えていっていいとは思います。それでも、そういった内容を知っているか否かだけでも、教えるときの質が少しは変わるんじゃないかなと思います。
他チームとの交流ももっと進めばいいとは思いますが、そこまで活発ではない印象ですね。鳥人間チームが周りに多いところは、交流も盛んなようなので、そういうところでも他チームと差がついているのかなあと思います。
お金はかかりますが、他チームの作業場見学や交流会の参加ももっと積極的に進むといいなあと思います。
一応、私は去年は交流会1回+5チーム作業場見学に行きましたが、どこのチームも丁寧に教えてくれましたし、写真とかも撮らせていただいたのでこの場で後輩におすすめしておきます。
金銭面はもう少し節約できた箇所もあったかもしれませんが、今年の出費も概ね例年どおりかなと思います。
本当は購入の度に稟議をした方がいいのかもしれませんが、どうしても余計な手間も時間もかかりそうなので、今の仕組みはそこまで悪くはないと思います。
一方で、消耗品はともかく、新しい高額なものの導入となると、誰が決めてどういう流れで買うかといった仕組みが整っていないので、稟議書だったりそういうシステムを用意しておくことも大事かもしれません。
金銭的には、切羽詰まるほど不足はしていなかったですが、新しい機材を積極的に購入していけるほどではなかったですかね。
他チームだとTシャツを販売しているチームや学祭の模擬店で稼いでいるチームもあるので、もう少し真剣にお金を稼ぐ方法も考えてもいいのかなあと思います。
それからSolidWorksもそうでしたが、学生を支援している企業の力をもっと積極的に借りるというのも一つの手なのかもしれません。
だいたいこんなところでしょうか。書き方がだらだら書きすぎですが、お許しください。
ところで、毎年新旧代表がこれを書くのが恒例になっていますが、ここまで読んでくれた代表以外のQX-18メンバーも、ぜひ琵琶湖やQX-18のこと文章に残してほしいなと思います。きっと今後のためになります。
さて挨拶で締めることにしましょう。
今後九州大学鳥人間チームを支えるみなさんへ
まず、正直に私自身、後輩に偉そうなことを言えるようなものではありません。
というのも、最後まで鳥人間が好きとは思えなかったですし、作業の楽しさや醍醐味もわからないままでした。
そんな私なので、鳥人間の楽しさやおもしろさはそもそも伝えようがありません。
それでも5年半鳥人間をやってきて伝えたいことは周りを大切にしてほしいということです。
周りといっても様々ですが、一番身近なのは同期、先輩、後輩だと思います。
まずは、同じメンバーの同期にも、先輩にも、後輩にも感謝と敬意を忘れずに活動をしていってほしいです。
そして鳥人間を活動していくうえでは他にも、OB、OG、顧問、大学の事務員さん、守衛さんなどなど様々な人に支えられています。
そういった方々の支えがあって活動が成り立っていることも心に留めておいてほしいです。
また、普段使っている道具や作業場などの場所も大切に使っていってほしいです。
私が言わずとも、みなさんは新しいことにチャレンジしていくことでしょう。
みなさんが、今後どんなチャレンジをしていくのか、今から楽しみにしています。
QX-18は後輩のみなさんがいなければ、今年の機体を完成させることも、琵琶湖に行くこともできませんでした。
私を代表として、あの琵琶湖へ、そしてあのプラットホームまで連れて行ってくれて、本当にありがとうございました。
そして、同期のみなさん様々な事情で途中で作業場に来なくなった同期のみんなも
本当にお世話になりました。
楕円抜き、ほぞ抜き、楕円つなぎ、積層、バギング、焼き、型紙、リブ抜き、リブ付、スチレン貼り、フィルム貼り、ハンダ付け、飛行試験、本当にいろいろな作業をやってくることができましたし、模型作りも杏仁豆腐も鳥キャンプも唐揚げも、本当にたくさんの思い出を作ることができました。
そして、最後の1年間は投票で決まっただけの頼りない代表をしっかり支えてくださり本当にありがとうございました。
なんだかんだとつらいこともありましたが、このメンバーと一緒にやってくることができて、本当によかったです。ありがとう!
最後にOB・OGの方々
日頃から活動を支えてくださり、本当にありがとうございました。
また、活動期間が被ったOB・OGの方々には、様々なことを教わりました。
本当にお世話になりました。今後は、新OBとしてよろしくお願いします。
2018/08/30 誤字脱字の修正、放送が終わったため一部追記