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鳥人間コンテスト2022を振り返って ver鈴木(佑)

どうも、日本でどの鈴木だと聞かれたらあの鈴木しかいないだろうと言われるタイプの鈴木です。

院試が終わり、放送が終わり、研究に手をつけなくてはいけなくなりました。ちょこちょこ書き続けていた琵琶湖の振り返りを完成させるのに2ヶ月かかるとは思いませんでした。色々考えると心がキュッとして、筆が重くなってしまいますね。では振り返っていきます。

水曜

フェリーに乗るまでは割と順調だった。荒木さんが酔い止めを2錠飲んでて笑った。道は一本道だったが、変に前の車に合わせて移動しなくても良かった気がする。

17時頃 フェリー到着。一旦集まってからドライバーのみ車内で待機。フェリー内はびっくりするぐらい道が狭いが、おっちゃんの誘導があったのでぶつけはしないと思いたい。慣れてない人は2階に上がるタイミングでぶつけるかも。フェリーに着いたらとりあえず荷物を下ろして甲板へ。みんなで記念撮影したけど、同期が何人もいないのは複雑だった。一旦解散して各々でご飯を食べることになったが、誰かと行動を共にするタイミングを逃し一人で行動していた。後で秋山さん、荒木さん、澤田にちょっとイジられた。

9時ぐらいには寝台に入っていたが、鳥コンへの不安と船の揺れがあって寝れず。結局8時間ぐらい寝床にいたけど、実際寝たのは4時間ぐらい?寝不足で見た明石海峡大橋はよかった。風強すぎて頭の毛全部なくなるかと思った。

木曜

7時頃 フェリーから降りて、昨日と同じフォーメーションで車に乗り琵琶湖へ。この辺りからずっと揺れる感覚があったりして微妙に体調がすぐれなかったが、同乗者の荒木さんと惠くんは元気そうだった。

後でフェリーから降りてすぐの車の治安が悪かったという話だったが、自分はそこまで悪いとは感じなかった。断じて名古屋イキりとかじゃないです。

高速に乗り、途中朝ごはんにSAに寄って写真を撮った。ここでコーヒーを買ったのが後に響いてくるということを、この時の僕はまだ知らない。

頻尿の代表ハイエースについていってPAに入ったりはしたが、大きな滞りはなくスムーズに高速を抜けることができた。荒木さんと就職先について話したりしながらアートホテルにのんびり向かったが、結果として着いた時刻はそこまで遅くなかった。

全車がアートホテルに着いた後、ハイエース以外で琵琶湖の下見に向かった。ファミマの駐車場に車を停めていざ琵琶湖、というところで運悪く鳥コン事務局長に鉢合わせ。怒られが発生。コンビニに停めるのはダメだろうという強烈な正論パンチ。ノックアウト。代表のメンタルが死んでしまった。駐機場の下見自体はダメとは言われなかったが退散することに。一旦カインズに集まって今後の動きを確認し、買い出し組以外は各自昼食と観光をすることになった。高橋の笠、似合ってたよ。

僕、荒木さん、しみしゅんさん、惠くんでそばを食べようということになり、サガミへ向かった。代表のテンションとは関係なく車内では感染対策のためほとんど喋らなかったし、昼食は黙食をした。別に代表のテンションがどうとかは関係ないです。感染対策ヨシ!

アートホテルのチェックインが16時、時刻は12時。あまりにも暇だということで暇つぶしに彦根城へ。ダウンする代表を横目に割としっかり楽しんだ。ただマリンシューズは若干歩きづらかった。その時たまたまひこにゃんのイベントがあり、かわいいなぁと見ていた。進行のお姉さんの話が微妙に盛り上がらなくてひこにゃんが困惑していた。一通り回った後に写真撮影をした。彦根城をバックに手に持つ刀を選べるのだが、5本ぐらいあるうちの1本が謎に猪之助のやつだった。これが400億のパワーか。

さて時刻は14時。ここから2時間の暇を潰せる気がしなかったので、アートホテルのチェックイン時間を早めてもらった方がいいのでは?となった。ホテルに電話したところ、15時からなら大丈夫ですとのこと。寺西さんに連絡し、アートホテルに向かうことになった。このあたりから目眩がひどくなる。

15時前にアートホテル着。目眩のせいであまり覚えていないが、誰かに洗濯物を託しすぐに自室に帰って寝た。洗濯機の中で僕の選択ネットが爆発したらしいが、リアクションを取る余裕はなかった。寝て起きたら幾分か思考が晴れてきた。これ脱水症状やんと思い塩分チャージと水分を補給したのち、夕食へ。

藤林、高橋と去年も行ったブロンコビリーで肉を食べた。テーブルは違ったが寺西さんや山下さんなど、ほとんどの人がブロンコビリーで夕食を取っていた。寺西さん運転上手いのに駐車下手すぎなの笑った。いや笑ったw‼️

帰ってから軽くミーティングがあった。しみしゅんさんの様子がおかしい。ファミマの件で落ち込んでいるのかと思っていたが、どうやら書類関係でとんでもないことが起きていたらしい、というのを後で聞いた。特に翌日の動きに変更はなかった。

まだ本調子ではなかったので新幹線組の迎えを他の人に頼み、すぐに就寝。謎に眠れず、この日の睡眠は鳥コン通して最悪のものだったと後に思うことになる。人間って不思議。

金曜日

6:30起床・朝食。何人か眠れなかった人もいるようで、少し安心した(安心するな)。

ゆっくりと支度し、澤田、須貝、長谷部、しみしゅんさんを乗せて湖岸へ。

8時から駐機場立ち入りOKと聞いたのでそれまでは絶対に入るなということだったが、時間を守っていたのはうちのチームぐらいなもんで、少し損した気分になった。

そうこうしているうちに気づいたら何人かが駐機場に向かっていたが、それに着いていったら全然違うところに向かっていたことが判明。ちゃんと地図を確認しとくべきだった。その後すぐにトラックからの連絡。9時から積み下ろしが始まった。30分限定の積み下ろしだったのでめっちゃ急いで荷物を取り出した。時間ギリギリだと脅されていたが、みんなの努力もあり20分ぐらいで完了。いいスピード!でも翼を道路に飛び出させるのは危なかったね。

それからしばらくはテントの設営。土嚢づくりやテントの組み立ては前日組に任せ、自分、澤田、須貝は翼の明日に備えて、翼の見張りも兼ねて日陰で休ませることにした。ただ設営に手間取っているのを見ると、自分ももっと手伝えば良かったと反省。M2代やその他設営の指揮をしていただいた方には頭が上がりません。ありがとうございました🙇‍♂️🙇‍♂️🙇‍♂️

去年の失敗(?)をもとにハンバーガーの購入個数を半分にした結果、ほとんどお腹が満たされなかったことは逆に失敗だったように思います。結局この日は夜までハンバーガー1個で過ごした。設営も終わり各班が作業するなか、主翼班はすることもないのでダラダラしていると、しみしゅんさんから「風が強いので右翼1番だけ挿して安全審査を通す」との通達がきた。まあ1番だけなら余裕か……と思いもう一回ダラダラした。

13時頃 安全審査の時間が迫ってきたので、風に飛ばされないように翼の見張りを増やし、1番を挿した。0番に入れたトライデントの高さが絶妙で、ねじり止めをつける際に澤田の腹筋が壊れそうとのこと。仕方ないので飛行試験のように僕と富永で膝枕をして高さを稼いでいたのだが、何故か読売テレビのカメラマンがその光景を10枚ぐらい撮っていた。なんの需要があるっちゅうねん。流石に僕もめちゃくちゃ笑った。澤田はこの時にビビッときたらしく、安全審査が終わった後でペットボトルで擬似的に台を作り、膝枕なしでねじり止めをつけられるようにしていた。草。

さて安全審査なのだが、これが全くのガバガバであった。「接合部のボルトちゃんと切ってあるね!ガハハ!」←切ってない。「接合部の金属、これアルミ?鉄?」「鉄です。」「アルミか!」←鉄って言ってるだろ。

14時ぐらいにオッケーが出た。まあ何はともあれ通ってよかった。ピトー管はしょうがない。機体をバラしてウマに置いたのはいいが、妙に風が強い。すぐに主翼用のテント設営を始めた。四方をブルシで覆った時の安心感半端ない。来年もこれでいこう。一通り準備が終わったので窓閉じRTA in Biwakoが開催された。マドマドはとても閉じやすかったが、僕が1番遅く、次に須貝、最速が澤田だった。50秒切りの挑戦者を待っています。よろしくお願いします。

17:30あたりに金曜新幹線組が到着するらしいので17時ごろに澤田、須貝を引き連れて乾、大城、白波瀬を回収。極楽湯と食事に向かった。

18時頃 極楽湯にて入浴中にやばい雨が降る。一瞬だったがなんとなく嫌な予感がした。温泉から出てすぐにslackを確認すると案の定死亡報告。他のメンバーはまだ入浴中で連絡が取れなかったので、とりあえず秋山さんと森(と荒木さん) に連絡をとって、湖岸に向かえる人を配置してもらうことに。それなりの人数が向かえるようだったので、夕食を取ってから向かうことにした。

19:30頃? 和食さとで夕食を取る。メンバーにはできるだけ早く食べ終わるようにお願いした。

20:30頃? 湖岸に到着、かと思いきやさらにトラブル発生。詳細は省くが縁石に乗り上げてしまう。後ろに乗っていた女子メンツの不安そうな顔がミラーに写って見えた。本当にごめんなさい。結婚式場に入って車を確認したが目立った傷はなく、ほっとした。この時の僕はこの車でアートホテルに向かう菊池さんがホテルの入り口で縁石乗り上げのダメージが蓄積したタイヤをパンクさせるなどとは夢にも思っていなかった。

ともあれ湖岸到着。思った以上に大惨事だったので、床の除水と荷物の避難を始めた。ハイエースに載せるのは良かったと思う。夕食を諦めてすぐに向かえば良かったと後悔した。本当に申し訳ない。主翼のテントは全くの無事だったので安心した。

ここで寺西さんと事故の処理へ。保険会社に連絡し、縁石に傷がついていないことを確認してアートホテルに向かった。とりあえずパンク以外のことは起きていなかったので警察は呼ばなくていい、レッカーかスペアタイヤに変えてレンタカーのお店まで持っていけばいいとのこと。少しだけ安心した。ありがとう安心Wプラン。(後日レンタカー屋さん曰く、警察を呼んだ方が良かったということだった。事故が起きたらまず警察、ですね。)

部車で湖岸に戻ったが、寺西さんの疲弊が見て取れる。本当にごめんなさい。色々ありがとうございました。

なんやかんやあり0時頃に就寝。こういうめちゃめちゃ雨が降った時に組み立て式のベッドは床から浮いたのでめちゃくちゃ快適だった。みんなも買おう。

(リンク)

土曜日

さて、就寝から1.2時間ほど経った頃だろうか。またしてもとんでもない豪雨。主翼テントが崩壊したら確実に飛べない。心だけでもとテントの柱を押さえていたら、高橋から0胴テントがやばいので人手が欲しいとの報告が。まあそらそうか。

雨漏りがひどく、塞いでもどうしようもないので床の物の整理をした。みんながT字尾翼に頭をぶつけそうになっていた。軽くパニック。電装とカウルは死にそうな顔をしていた。ここら辺で電装のパーツが無くなったらしい。全く把握していなかった。大事な物をゴミ袋に入れて保管するのはやめたほうがいいね。

少し落ち着いてきたぐらいで、主翼も心配だったので明日に備えて主翼テントにて就寝した。

5:30起床。もうみんな動き出している。急いで着替え、寝ている須貝と澤田を起こし、主翼テントの移動準備を始めた。6時からに移動を始めるとしみしゅんさんから言われたので、慌てて準備した。自分の予定では6時起床だったので、少し動揺した。

6時ごろにはテントを覆っていたブルシの撤去が完了し、主翼をテントから出した。その後すぐに0胴もテントから出すのを手伝ったりしていたが、上のブルシを取ったり、テント同士の結合を取ったりでかなり苦戦した。来年はそのあたりの動きやタイムテーブルをしっかり組み、共有すべきだなと思った。

とりあえずテントの移動が終わり、機体を湖岸いっぱいまで出してIwataniが動き出すまで足蓋電装試験をすることになった。すぐに主翼を組みたかったが、両サイドを他チームに囲まれて組むことができなかった。じれったい。7:30ごろにテレビの人が足蓋電装試験を見にきた。脚が閉まるところ何枚か写真を撮っていた。動画も撮っていたかな?この間に主翼をいい感じに配置して、いつでも組めるように準備した。ここで鳥科のビッグフライト。緊張しだす。

8時ぐらいに動き出したかな。スペースが空いたので急いで1番を組むというときに問題発生。雨や湿気のせいでL1番が刺さらない。本来の角度から3〜5度ぐらいずれて刺さってしまい、ウンともスンとも言わなくなってしまった。焦る。かなり粘ったがどれだけ力を入れても動かなかった。あれだけ挿ししろをスルスルにしたのにどうして。兎にも角にも一旦これを放置してR1番を挿す。このときにグリスを塗ったらびっくりするぐらいスルスル入った。やっぱり湿気や水分が入ると何か謎の力がかかるのか。その調子で2番も挿そうと思ったが、すでに駐機場からかなり離れたところに来てしまったため少し作業が滞った。桁が挿さらないことに動揺しすぎた。落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせながら、2番を取りに行かせる指示を出す。届くまで時間差があるので、その間にL1番のボルトをギチギチに絞めて少しだけズレを軽減するという足掻きをしていた。実際ちょっとはマシになったと思うが、ズレて付いている時点で及第点以下である。まあそれはそれ。

それから、後ろから荷物を持って付いてくる人も考えると、30人でも人員はギリギリか少し足りないような気がした。みんな何かをする役割があって、翼を取りに行ったりと動ける人がいなくてとても苦労した。2番を取りに行ってくれた人には頭が上がらない。誰に頼んだか完全に忘れてしまったが、本当にありがとうございます。

そうこうしているうちに2番が到着。すぐに組んで、窓を閉じるフェイズに移行した。両翼端のウィングレットは森と須貝に任せ、僕と澤田と白波瀬で窓を閉じていた。この時に雨がポツポツと降っており、朝からずっと風が強かったので不穏な空気が流れ出す。プラホ上のチームが全然飛ばない。これは19の再来か、なんて冗談を言っていると競技中止のアナウンスが流れた。飛びたかったという気持ちと、L1のズレのまま飛ばなくて良かったという安心があって感情がぐちゃぐちゃになった。少しだけ湖岸にいる家族と話したのち、駐機場に戻りつつ解体した。

12時ごろに駐機場に戻ってからは明日の予定を立てたり、設営をしたり昼食を食べたり、各自休憩していた。

13時頃? しみしゅんさんから明日の早朝に飛ぶことを知らされる。この情報はフライトチームに共有されていなかったらしく、聞いてからすぐにslackに上げておくべきだったと反省。ただこの時点でslackが機能していなかったので、意味があったかはわからない。ひと段落したようなので宮武さんとタイヤを替えにアートホテルに向かった。炎天下の中2人でタイヤを替えるのは中々に骨が折れたが、なんとかレンタカー屋さんまで車を持って行くことができた。宮武さん本当にありがとうございました。なんだかんだ1時間ほどで湖岸に帰ることができたが、谷澤に僕の分の昼ご飯が食べられてしまっていたらしい。ストレスと疲れで食欲も湧かなかったので、この日は夜まで水分以外はほとんど何も口にしなかったと思う。

早朝のフライトに際して鳥科の駐機場を使っていいとのことだったので、撤収・移動を手伝った。まず0胴の移動だが、めちゃくちゃ風が強い。T字尾翼がぐわんぐわん揺れる。大事をとるなら水平を外した方がよかったのかもしれない。とにかくテントを外し、いくらかの待機時間ののち移動を開始した。人は足りてそうだったので0胴は任せ、トラックへの積み込みの準備を始めた。翼保持してくれたOBさんには頭が上がらない。彼らへの指示はほとんど秋山さんがしていたような気がする。来年以降もOBさんはしっかり頼ろうと思った。

ここでのトラックの積み込み・積み下ろしも朝と同じく30分で行わなくてはいけないらしい。17時ぐらいにトラック到着。めっちゃ急いで積み込みして20分ぐらいで完了。その後15分ぐらいしたらまた積み下ろしで30分の計測開始、20分ぐらいで完了したかな。やっぱり翼を運ぶ時に道路にはみ出て移動してた。僕の指示ミスです。すみません。

翼をウマに置いたあと、主翼のテントの設営を始めた。風がとても強かったので、テントにペグを打ちこんだ。設営自体は前日のこともあって、ある程度スムーズに進んだと思う。ただスペース的な問題から、0胴テントで尾翼がはみ出して野ざらしになっていたのは気になった。T字ということもあって、風の影響を大きく受けるのかもしれない。そうこうしているうちに元いた場所の撤収が完了したらしい。ゴミもなくとても綺麗だった。作業場もあれぐらい綺麗になるといいのだが。

さて設営が大体終わった頃、どうやらホテルと湖岸泊をどう配置するかと思案している最中だったらしい。フライトは5:30ですぐに動けるのが望ましかったので、自分は湖岸を希望したが、今になって思えば無駄に混乱させるような要求をしてしまったと思う。色々と配置をしてくれた秋山さんには頭が上がりませんね(n回目)。ホテル配置が終わったのち、今日使ったマドマドを作り直すため、須貝と澤田、澤木で暗い中作業した。フライトが中止になったのは予想外だったとはいえ、マドマドは余裕を持って2倍は用意すべきだったと思う。まあフィルムをマドマドに貼り直すのはそこまでの労力でもなかったので問題はなかった。作業が終わって風呂食事の先発組を待つことになったが、21時ぐらいに湖岸泊組は風呂を諦めろとのことだったので寝る準備を始めた。この辺りでとんでもなく空腹だったことに気づく。いつのまにかOBさんが夕食を差し入れてくれていたらしく、とても助かった。本当にありがとうございました。

23時ぐらいに就寝したと思う。この日の虫刺されはひどかったが、フライトが終わるまで疲労でそれどころではなかった。

日曜日

2時ぐらいに起きて準備。3時前には朝食としておにぎりとウイダーを済ませた。足蓋電装試験の傍らでマドマドやフタサット、ウィングレットの確認。

3時ぐらいに機体を組み上げ始めたと思う。前日の反省を活かして多めにグリスを塗ると、これまたとんでもなくスルスル入った。ちゃんとグリスは塗ろう。機体の組み上げは爆速で終わり、昨日と同じく翼端は須貝と森に任せてすぐにフタサットと窓閉じを始めた。ノノムラを廃止してフタサットにして本当によかった。当日の作業がとても楽だし、普段あまり作業していない人でも簡単に閉じることができた。マドマドに関しても何より準備が楽になったように感じる。色々新しいことを試してみてよかった。ウィングレットを付け終わった須貝と白波瀬、澤田がとてもよく動いてくれたこともあり、4時過ぎには作業を終えられた。ナイス!

ここでしみしゅんさんから4:30にプラホまで移動するとの情報が入った。予定が前倒しに

なると主翼が楽になるのでよい。転回場で翼端が着かないかなど色々ヒヤヒヤすることはあったが、特に事故などもなくあっさりプラホ上へ。「右翼方向に前進」「プラホ側へ前進」ほんとすき。来年もやってほしい。長丁場で声が枯れたりしていたし、来年はメガホンとかあると楽かもしれないね。

5時過ぎにプラホ。自分含めみんながソワソワしているのを感じた。窓を閉じる時間も十分あって、当日の作業全体についてはある程度満足のいく出来になったと思う。カウルが朝露でクリスタルがくっつかなかったりして苦戦しているのはかわいそうだった。

5:45 フライト。

6時ごろ、飛び終わってすぐに機体回収、解体。色々感情がぐちゃぐちゃになってパニック。とりあえず左翼のねじり止めが死んでいないか確認。ねじり止めは全部生きてた。どころかめちゃくちゃしっかり付いてて取るのに苦労したほどだった。安心して写真を撮るのを忘れてしまった。これほんと痛恨のミス。今になって思えばもっと一年生を動かせばよかったなと思う。まああんなメンタルでは無理か。

7時ごろだったか、だいたいトラックに積み込んだら駐機場へ撤収した。駐機場の近くには沖本さんがいらっしゃって、握手をしたときにボロボロと涙が溢れた。菊池さんと川野もいて色々恥ずかしかったので一旦引っ込めて、人のいないところで静かに泣いた。何かに挑んで本気で悔しがった事があまりなかったので、泣いているくせに頭では自分は本気だったんだなと生意気に分析したりした。

なんか松尾いた。同期となんで落ちたんだろうね〜なんて話しながら鳥コンのyoutube liveを見ていた。謎のおじさんからチラシを貰った。そういやこれ読売がスポンサーだったわ。うちの機体が斜め下から写っていて、この記事を書いた人はわかっている人だなと思った。

しばらくしてみんないないなと思ったらグッズを買いに行っていたらしい。自分も行くかと後輩と物色。Tシャツとトートバッグを買った。こやつら割と活躍している。よい。

この後ぼちぼち片付けをしながら、12:30には湖岸を出発した。トラックに物を積み込んでいるときの荒木さんの背中が誰よりも大きく見えた。発電機なんて持つな、なんて言われたのは人生で初めて。湖岸から大津ICに向かうだけの簡単なお仕事。森、杉田、山下さんを乗せて出発したシエンタは、なぜか大津手前のPAで止まり運転手を交代し、そのまま大津を通過した。なんでだろうなぁ。不思議だなぁ。(山下さん、寺西さん、しみしゅんさん本当にごめんなさい。)

まあ鳥コン終盤で頭が回っていなかったんでしょう。来年はドライバーが増えそうだし、期待してますよ。僕みたいにならないでね。あと免許証は忘れないでね。

仕方ないので吹田でお土産を購入。滋賀には大阪のものがあるけど、大阪に滋賀のものはないねって話をした。帰りは鳥コンの中継を見ながら帰った。午後にフライトしたチームはみんなとんでもない記録を出していた。あざみ野やばすぎ。そりゃ森も信者になるわ。

18時ごろフェリー出港。なんか桂いて草。限界だったが賑やかな飲み会がしたい、とフラフラしていた。だがみんな疲れていてそんなテンションじゃないらしい。仕方ないから同じくフラフラしていた菊池さんと窓際でボソボソ喋っていたら、秋山さんや荒木さんが飲もうぜオーラを出しながら向かってきた。僕と藤林の部屋に迎え入れ、飲むかというところで谷澤からお呼び出しがあったので同期飲み部屋へ。この後あまり記憶がないのだが、聞き取り調査によると僕が暴れてお通夜にしたらしい。振り返ってみると鳥コンのやらかしの半分ぐらい僕のせい。同期の皆さん本当にごめんなさい。

気づいたら自室で寝ていた。レッドカード強制退場ってやつかもしれない。すっごい頭が痛かったので深夜の船内を軽く散歩した。フライトや作業場を思い出して、また泣いた。

月曜日

もう全部桂が運転してくれた。神。助手席に乗れてテンション爆上がり。楽しかった。古賀SAで宮武さんがサスペンスみたいな倒れ方をしたのはビビった。同乗者が変わるだけでこんなに変わるものなのか。トラック内で何が起こったのかは聞かない事にした。

伊都キャンに到着。ハイエースはまだ少しかかるようだったので、積み下ろしをしながら作業場の整理をした。真下くんがいたのは正直嬉しかった。ありがとう真下くん。

天幕の返却は翌日に回すことにして、他の作業はある程度つつがなく進んだと思う。作業場で少し寝ているうちに先輩の挨拶とかが終わっていたらしい。起きておけば良かった。てか誰か起こしてよ。

火曜日

天幕を返した。高橋と菊池さん、秋山さんを乗せてそのまま糸島でジェラートを食べた。うまかった。

鳥コンについて

やっぱり鳥コン経験者が少ないのは辛かった。経験がないのでどうしても指示待ちになってしまいやすく、院試やコロナによる欠員も多かったので割とパニック状態だった。自分は山下さんと同じく、疲れるとスイッチがオフになるタイプの人間。気をつけて行動しなければかなりやらかす、そういう学びを得る鳥コンだった。もう人数制限とかなくなってくれ。しんどい。それとドライバーが少ないのは死活問題なので、来年までにペーパードライバーを撲滅させようと思います。旅行でもなんでもいいので、ドライブしましょう。部車を活用しないともったいないですよ。あ、でもぶつけて穴開けるのはナシです。

一年を通して

この1年間は和やかに楽しくやっていたとは全く言えないものだったが、機体はかなり綺麗なものになったと思う。YouTube Liveでも褒められていたのはとても嬉しかった。

さて、未だに僕は深夜作業はいかなる理由であれダメだと思うし、作業場が汚いのはいけないと思うし、作業の助けが必要ならそう声を上げるべきだと思っているが、そういった考えの違いから班長同士の諍いが多々生まれてしまったことは事実。誰しも考えの違いはあると思うが、多分僕たちの代に足りなかったのは話し合いと歩み寄りだったと思う。今の班長たちにそんな雰囲気はないだろうと思うが、手遅れになる前にB4, M1が手を差し伸べてやることはある種の責務である。先輩はどんどん頼ろうね。

主翼について

秋山さん、山下さん、澤田、須貝、森、多くの班員たち皆さんに支えられて、なんとかギリギリ班長できたかなと思います。自分1人では何もできなかったし、もっとサークル全体に迷惑をかけることになっていたと思います。

僕は主翼班長としてQX-22を飛ばせたことを誇りに思います。とても楽しかった。

本当にありがとうございました。

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