院試と鳥コンが被った悲運の脚班長の代わりに勝手に振り返りました、B2影島です。
積み込み
- 初めて行ったので良かったのかどうかわからない。でも割とスムーズにいったほうなのではないかな。
- 来年は脚をいれて持ち運ぶケース作ろう。プチプチで覆っているだけなので琵琶湖でも雑な扱いを受けたりしていた。
個人荷物の準備
- 基本しおりの通りで大丈夫。着替えは日数分か日数+1くらいでいい。
- マリンシューズあると便利。何かと濡れるので琵琶湖で靴と靴下を履くのは諦めたほうが身のためだ。
- 寝袋は積み込みの時にトラックかハイエースで運んでもらおう。
- リュックは出発の前日に2ndStreetで買った登山用のザックを持ってった。3泊4日で30Lくらい。ちょうどよかった。
出発(木曜新幹線先発組)
- この日はQX-22がプラホをゆっくり進んでいってぽちゃんと落ちて鳥コン終了、というとんでもない夢で朝5時に飛び起きた。心臓に悪いって勘弁してくれ。
- 新幹線のチケットは新幹線用の特急券とその前後の在来線用の乗車券がセットになっている。特急券は博多―京都、乗車券は最寄り駅(学研とか)―彦根間で買おう。乗る日を訊かれるので間違えないように。間違えても未使用なら窓口で変更してくれる。
- いろいろあったので前日まで待って買ったけど、早めに買っておこうね。
- 学研の駅の窓口は15時で閉まる。注意。筑前前原まで足をのばせば19時まで、博多に行けば新幹線が動いている限り買える。
- 学割証は学内のオンラインのシステムでうまいことやって学内の発行機で発券する。ハイテクですね。
- 学研でおかけんと小江に偶然会ったので一緒に行った。
- 18:20 博多駅のひかり広場集合。ごんちゃん(冨永)と川平が勝手にホームまで行ってたこと以外は特に問題なし。
- 新幹線、速かった。着くのが早すぎて頭が追いつかない。もう少しゆっくりでいい。
- 京都で新快速に乗り換える。1年4か月ぶりの地元関西。エスカレーターどっち側に乗るんやっけ。懐かしい匂いがした。
- 新快速で1時間走ると彦根。藤林さんの運転でホテルへ。
- 23時ごろホテルにチェックイン。
- 朝食から出発までの時間が短いとのことなので、明日の作業の格好で寝る態勢に。荷造りも終える。
- コンセントどこよ。
- 腹減ったんで自分で持ってきたパチモンウィダー飲んでから寝た。おやすみ。
- 冷房は切って窓を開け放って寝た。いつもの習慣で寝るのがいいと思う。部屋のクーラーは壁の操作盤だけやけに新しかったが本体を見ると明らかに古い。
頭隠して尻隠さずとはこのこと。風速の調節も強と弱しかないし。寝るときは使わんほうがいいかも。 - 電気をつけなければそんなに虫は入ってこない。それでも2,3か所刺されたけど。
7000円、、、うん。
金曜日(前日)
- 今日は設営と安全審査の日。
- アラームは6時にかけていたが5時に目が覚めた
- 寝ている間に雨が降ったらしい
- 朝食は6時半。
- この日の夜は湖岸泊なので、すべての荷物を持ってチェックアウト。
- ロビーで軽くミーティングののち7時過ぎに佐藤さんの運転でホテル出発。湖岸へ。
- 朝は曇っていたが移動中に陽が出てきた
- 自分たちの駐機場に到着。岩谷とRTRの間。とりあえずハイエースからウマを出して組み立てたり、トラックに積んでいるものをすぐにおけるように準備。トラックが来るまで結構暇だった。
- トラックが車寄せみたいなところに到着。先陣切って荷台に入った。
- 2番翼根側(運転席側)のダブルナットは上側のナットが緩んでいて、ダブルナットの体をなしていなかった。
- 0927翼の固定解除に使ったレンチをそのままトリム取り器用として確保。(どっちもミスミなので同じレンチなのだ。17番のめがねレンチ、もう一個あったほうがいいね)
- 積み下ろしは30分という時間制限があったが余裕だった。20分で完了。やるぅ。
- テント組み立てる。1047テント組み立て終わり。0胴組む。
- 1110 尾翼電装組む
- 急に眠気がきた。なんでだろう。
- テントの柱の場所が悪く、カウルと尾翼が組みづらい。要改善。
- 安全審査は風が強いので0番と片翼1番のみでOKと言われた。接合部が見たいとのこと。
- 1302カウル、尾翼、脚組み終わる。
- 風が出てきた。涼しいが嬉しくはない。
- 1339スラックで桂さんに短縮用のゴムバンドを最後に替えたのはいつかときいたところ、5月くらいとのことだったので藤林さんと一応替えとくか、ってことで替えた。練習の成果あり。思ったほど劣化していなかった。
- 1350 脚本体の回転軸のR ピンは、先端にエスレンの破片を両面で貼って被覆していたが、案の定はがれかけていたので、かわりにビニールテープを3周くらい巻いた。
- 1400 安全審査 脚はノータッチ。見てもないと思う。
- 審査が終わったので右翼1番を抜く。
- 1530 風がおさまった。今思えばこれは嵐の前の静けさ。
- オンボードカメラがつく。手間取っていた。
- ウマを支えながらのんびりごんちゃんときょっさんとみんはや(みんなで早押しクイズ)でもやるかーって3人でルーム作ったところで、あと1時間でゲリラ豪雨来る!1時間で60ミリ!という寺西さんの声をきいてテントを飛び出す。
- ごんちゃんと土嚢を作る。15分ぐらい経ったところでポツポツと雨粒が落ちてくる。5分ぐらいで本降りになったので土嚢づくりは中断。ふたりで8個ぐらいつくったかな。
- 敷いてあるブルシの端に土嚢を置いたがそもそもテントの隙間から雨漏りしまくっていたのであまり意味はなかった。
- ぶっ壊れたシャワーのような雨が降ってくる。
- テントの天幕とブルシのカーテンの隙間から水が流れ込んでいた。尾翼の左側がひどかった。
- 外からゴリラやガムテで防ごうとするも蟷螂の斧。隙間を手で押さえて何とかしようとすると、伸ばした腕を伝って服の中に直接水が流れ込んでくる。全身ずぶぬれ。
- 雨上がりの夕日の景色が悔しぐらいに綺麗だったが、テントの中はぐちゃぐちゃ。こんなんで湖岸泊できんの?
- 日没の時間だったこともあり、結構寒かった。濡れるとマジで体温奪われる。早めに着替えることをお勧めする。
- 2020から2100極楽湯。冷えた体にはありがたかった。夜ご飯はマクド。
- 前日組の人たちがテント内を綺麗に掃除して寝られる状態にしてくれていた。マジでありがとう。助かった。神様仏様前日組様。
- 銀マットに寝袋を敷いて寝た。寝付けそうで寝付けない状態が続く。いかんせん床が固い。
- 0040頃、猛烈な雨音で目が覚める。気づいた時にはテントのあちこちで浸水していた。まったく。
金曜新幹線組に雨女がいた気が。 - 雨がやんでウエスで適当に拭いてまた寝る。寝付けた。
土曜(当日 競技中止)
- 0440起床 風が強い。半袖半ズボンでは少し寒い。
- 5時ごろ脚蓋電装試験。問題なし。
- 0609 オンボードまたいじっていた。
- 7時ぐらいから寺西さんの指示で機体を動かし始める。急にあわただしくなった。
- 雨が少し降って止んだ。
- トリム取り器の準備。
- 脚箱に入っていたはずの結束バンドが昨日の雨対策でブルシを張るのに使われたのか1本しかなかった。
- 本番脚は既に組んであるので問題ないが、予備脚を使うとなったときに片脚分足りない。焦った。
- 転がっていた太いビニひもを確保。これを代替品とする。
- 0番をテントから出し、機首を湖に向け、波打ち際に近く、湖に向かって傾斜しているところに出す。
- カメラの前で脚蓋電装試験。感激しておられた。やったね。
- 0756惠さんと川平がフィレットの前縁をエポでガチ固。
- ここでエレベータがPの意思と逆に動くことが判明。谷澤さんがプログラムを書き直す。
- 前の機体と歩調を合わせながら時折止まりつつ転回場を目指す。
- 左翼の01がなかなか挿さらない。途中で主翼が組み上がる。
- 風が出てきたのでトリムは取れない。
- 翼持ってるときにウィダー渡された。これが朝ごはん
- 風で浮くので翼を上げられない。辛い。
- 足場が悪い。
- たまに足が湖に出る。マリンシューズで来てよかった。
- 沖本さんがYouTubeに上げられていた当日の映像を見ていたおかげでだいたい想定内。
- 翼を運んでは止まってウマに置きまた運んでは止まってウマに置きを繰り返す。
- 途中で山下さん寺西さんと転回場以降の人員の配置を話し合う。
- 身長故に左翼端(先頭)に行くことになった。同時に右翼端がきょっさんに決定。
- 転回場が近づくにつれて日が翳ってきていた。転回場まで50mのところまで近づき、機体をn回目ウマに置いたところで左翼端にいた三堂と交代。主翼の遮光シートを剥がす。
- 止まって待っているところでポツポツと雨粒が落ちてくる。
- 翼をウエスで拭くも雨が強くなってくる。また遮光シートをかける。
- 風が少し出てきた。
- 前には岩谷。転回場に愛知総合工科。
- スロープの直前にエアロセプシー。プラホ上あざみ野。
- 転回をほぼ完了していた愛知総合工科が反対向きに回り始める。
- 場内アナウンスで、今から風がさらに強くなる予報なので今日の滑空機部門、競技中止です。観客から落胆の声。
- 今日飛べなかった滑空機は明日飛ばしますとのこと。
- 砂浜を機体を持って歩いて帰る。時折止まって主翼を抜きながら進む。左翼01なかなか抜けなかった。おかげでカウルが壊れたらしい。
- 駐機場まで今村さんと1番を持っていった。
- 今日はもう暇かなと思っていたら、最初にフライトを終えた理科大の駐機場(転回場のそば)に根城を移すということで、設営したテントを全部解体し、0番を運ぶことになった。
- このあたりで明日朝5時半フライトと聞いた。
- キャノピーもフィレットもエポでガチコしてたので全部つけたまま移動。遮光シートもついてた。
- 気温差による強烈な海風が吹く中、機首を風上に向け、頭下げの状態をキープしながら砂浜を進む。菊池さんがいてくれて頼もしかった。
- 3番の駐機場に到着。湖からの風が強いので頭下げでウマに置く。0番を置いているウマを一番下まで下げても十分に頭下げできなかったので、2段の脚立を持ってきてもらった。
- 元の駐機場から続々と機材がが到着。風が強いのと昨日の雨のことがあるので、まずテントとブルシを完璧に張る。
- このころには同期がテント設営のプロと化していて、瞬く間に4つのテントを組み上げるのを見て、0番を保持しながら思わず笑ってしまった。マジで速かった。
- フライトチームを休ませるため、前日組の人たちが湖岸泊することになったらしい。一部喜んでたやつもいたらしいけど。
- 1811 しみしゅんさんから、明日は3時に主翼を組み始める。5時に転回場入り、5時半プラホという連絡が来る。まじか。
- 谷澤さんから、2時半から脚蓋電装試験と言われる。まままままじか。
- 朝起きれる自信がなかったため、この時点でホテルは諦める。
- 佐藤さん、高橋さん、佐野さん、なかむっらと5人でシエンタに乗る。コンビニに寄ったあと佐野さんとなかむっらをホテルで落とし、同時にテール持ち兼筋肉担当さんをピックアップ。極楽湯へ。極楽湯にあった体重計に乗ったら3キロぐらい落ちてました。そりゃそうか。
- 21時に極楽湯をでて藤林さんをホテルに送り、コインランドリーへ。スイッチ入れて湖岸に帰る。
- 前日組は急に湖岸に泊まらされた挙句、そもそも湖岸の人数が少ないため、極楽湯に行くことすら叶わなかったらしい。申し訳ねえ。
- 佐藤さんが限界なため、菊池さんに運転を頼んでコインランドリーに服を回収しに行く。洗濯ネットあってよかった。ついでにコンビニで夜ご飯を買う。
- 湖岸のトイレの水道で歯を磨き、銀マット+寝袋で寝る態勢に入った。この時点ですでに23時。すぐ寝た。バタンキュー。
日曜日(本番)
- 0230 谷澤さんに起こされる。ふらふらする。
- 脚蓋電装試験n回目。問題なし。
- 3時 主翼挿す。主翼班は昨日飛ぶ状態まで準備したのを剥がしたので、いろいろ作り直したり、昨日貼ったクリスタルを剥がしてからまた貼ったりとなかなか大変そうだった。
- 星空がきれいだった。昨日の雨のおかげかな。
- 風がない。昨日や一昨日の暴風が嘘のよう。
- 文字通り抜き差しならぬ状態だった左翼1番はグリスを塗ったら解決したっぽい。
- 動きにくくなったのはおそらくバブルスが湿気を吸ってわずかに膨張し、かつ摩擦係数が大きくなったからかな。
- 打ち合わせ通り左翼端を持って駐機場を出る。4:45右翼を前にして砂浜から転回場に入る。事前に脚のリロードはプラホ上と決めていた。
- 時計回りに90°転回して左翼がプラホを向く状態に。
- 主翼が12接合の窓を閉める間に左翼端の保持を惠さんと代わってもらって脚の最終点検。コの字、サーボアーム問題なし。ボルト、ナットの緩みもなし。本番脚で行くことが決定。こっから先で脚に問題が起きたらどうしよと思うけど行くしかない。腹くくった。
- 桟橋歩く
- スロープの直前で待機 体感15分?
- 朝早かったせいか読売の人間もバタバタしてて、待機してる機体の胴体下を何人も通っていった
- スロープを先頭で登る。指示は山下さん。登っているうちにキャノピーが下がってきて、まだ手すりまでマージンはあったが上げるよう自分で指示。
- プラホ入ります、の声とともに入る。入口入ってすぐのところに滑り止めなのか木製のバンプが何本かあった。邪魔。
- 左翼端を持ったままプラホ先端まで出て反時計回りに転回開始。自分は翼の持つ位置を変えながらプラホ左半分の輪郭をなぞるように移動。左翼端はプラホからは完全に出ていたが、プラホの両側に突き出している一段低くなったところには収まっていた。そこにいた惠さんに左翼を任せる。プラホの左端と左翼12接合がほぼ同じくらいの位置だった。
- 左脚をリロード。右脚を今村さんがリロード。コの字、滑車をチェック。問題なし。
- 今村さんと交代して、僕が右脚を、今村さんが左足をチェック。問題なし。
- せーので機体を脚に置く。プラホは平面じゃないので機体の傾きはあまり分からなかった。
- 左翼端の下面とプラホの突き出ている部分についている柵との間隔が50センチ弱。
- コの字金具回転軸をM6に替えたとはいえ、上反が翼端についている、かつ1番の剛性が低いのは変わらないのでやはり怖い。ので、山下さんに翼端が柵より前に出るまで機体を前に出したいと伝えた。しかし、人が保持しているときと比べて、脚に機体を乗せると翼端の上下動はかなり小さく、50cmあれば問題はなしと判断。フライトチームの希望に合わせて機体をセット。11時方向だっけ?
- 随分待たされたあと発進。閉まれ、閉まれって叫んでた。脚が閉まる瞬間はプラホに隠れて見えなかった。チクショウ。
- プラホを歩いて降りる。機体の回収場所に走る。
- 壊れた機体が遠くに見えて、急に涙が出てきた。泣きながら走った。早く迎えに行ってやりたい。お疲れ様。ありがとうQX-22
- 解体は、まずフィレット前縁を外した。エポでガチ固されているので少々手間取ったが、綺麗に外れた。
- 脚はちゃんと閉まったわけだし。予想通り、予定通り、普通に閉まっていた。全組で変形したコの字金具回転軸もM6に替えたおかげで見たところ塑性変形はなし。
- 湖岸に戻って帰る準備。土嚢の土を捨てるときは他チームの機体が近くにいないときにする。
- ペラ機のフライトを見ながらのんびりしてた。すごいね。
- トラックが来たのでおかけんと荷台に入る。たしかB1吉年も手伝ってくれた。怒涛の勢いでテントやら翼やらを積みこむ。発電機を最初に入れるべきだった。先にテントが入ったせいでパワーゲートから荷台の中を転がして奥に入れるという手が使えず、横の小さい出入り口から持ち上げて入れた。発電機重たいのであまりやりたくないね。
- あとORIXの文字が入った濃い緑の荷締ベルト、使い方がいまいち分からんで苦労した。
- なんとか30分で終了。
- おかけんと鳥コンのグッズを買いに行く。年号が入った缶バッジ欲しかったけど売り切れてた。
- 菊池さんの運転で彦根駅へ。6人ぐらいのグループに分かれて新幹線で帰った。
- 京都駅のわらいでお好み焼きを食べた。美味しかった。久しぶりにちゃんとご飯を食べた気がする。大阪人なので白ご飯も頼んだ。当たり前。
- 帰宅。
【気づいたこと、反省・改善すべきことなど】
- 機体を動かすときの掛け声統一しませんか?人によって流派が異なると案外疲れます。頭が回ってなければ事故ります。方向の指示は機体に固定した座標、無理なら動かないものでやるのがいいと思います。右翼側、左翼側、機首側、尾翼側(尻尾側?)に移動、みたいな。前進とか後退とか言っても保持している人から見てなのか、指示している人にとってなのか、機体から見てなのか分からない。
左翼側に前進とか意味わかんない。それから、せーのを言うのかどうかも統一すべきですね。言ったほうがいいと思います。統一しないと、
寺西さん「じゃあ後退しまーす、はい、こうたーい(手振りつき)」
すすすと移動完了。
山下さん「機体全体!!右翼側に前進させまーす!!」
一瞬間が空く。
心の声 「ん?まだ移動せんの? あ、山下さんだからこの後にせーの!が来るんか」
山下さん「返事ぃ!!!!」
みたいなことが起こるわけです。ペラ機のチームはこのへんちゃんとしてる印象がありました。あとハンドマイク(拡声器)使ってるチームがありましたね。ありなんじゃないでしょうか。指示系統の体力温存は大事です。
- 脚箱の結束バンドがブルシ張るのに使われてしまったのは八割がた脚班(主に僕)のせいですね。普段の作業にあまり来ないひとも一緒に作業するので、作業に精通していないひとでも分かるようにしなければなりませんでした。
- 晴れていてもテントは雨が降る前提で張る必要があるようです。というか昼間晴れれば晴れるほど琵琶湖の水が水蒸気となって上空に溜まり、上昇気流が弱くなる夕方に落ちてくるわけですから当たり前ですね。
7.28追記 23以降のひとに提案ですが、チーム名つけませんか?横文字のかっこいいやつ。九州大学鳥人間チームっていう飾らない朴訥さも嫌いじゃありませんが、ウィンドノーツとかエアロセプシーとか、かっこいいですよね、ね、ね?もちろん実績あってのことでしょうけど、学内での知名度を上げるためにもいいんじゃないかと思ってます。
- ワークマンの指出しの手袋、滑り止めがついていて素手より作業しやすいのでおすすめです。(たしか700円ぐらい)日焼け防止にもなるしサイクリングにも使えるし。テントの骨を運ぶときにかなり助かりました。手先を怪我するとどの作業するにも支障が出るので大事にしましょう。鳥の手は商売道具です。
【QX-22のふりかえり】
僕にとって22は初めて機体製作の全工程を見た機体でした。僕にとっての鳥人間のはじまりの機体、自分の今後数年をここに捧げると決めたきっかけになった機体です。
正直1年生の夏休みぐらいまでは他にやることないしなあ、行ったらなんか知らんけど褒めてくれるしなあ、みたいなしょうもない理由で作業場にいました。もともと飛行機に興味があったわけでもない、どちらかというと車のほうが好きな僕がなんとなーく雰囲気で入ったのですから当たり前です。なんでみんなこんな精度追いかけて、いくつもボツ出して、なんでそんなこだわってんねやろうって。そんなことを考えるときもありました。でも今は分かるようになりましたね。フライトを終えた22を迎えに行ったときの涙がその答えでしょう。やるからには完璧なものを目指してつくりたい。結果として完璧でなくとも、本気で作ったものには命が宿るって信じています。無駄な努力を省いて作業効率を上げるのももちろん大事です。でもそれはきっと大学を出てからいくらでもできる。自分がこだわりたいところにこだわって、効率とかどっかに放り投げてバカやってたい気持ちがあります。このへんは1年という制限時間と要相談ですね。
思えば22が始まったのは1年生の夏休み。ずいぶん遠い記憶だなあと感じます。それだけ自分が変わったということなのでしょうね。楕円の型紙をひたすらやすっていました笑。11月に初めての桁焼き。このへんで完全にスイッチ入った気がします。年末にも徹夜で桁を焼いて洗脳完了、てな感じです。春休み超楽しかった!週5でバイトしながら週6で作業場に行くというハードな日々でしたが、みんなでB級サメ映画にツッコミいれながらバルサチップやすったり、脚マウント焼きからの湯どころ閉館からのやけくそで二見ヶ浦行ったり、22設計の「(アロマで)いい雰囲気にする」発言で爆笑したり。一番面白かったのは、
主翼 「明日基準リブ付けなんで、できれば人手ほしいんですけど、、、」
脚 「脚マウント焼きです」
尾翼 「安定板焼きです」
カウル「テントインです」
最高でしたね笑
日記によれば、初めて脚班の作業をしたのが1月7日。桂さんと藤林さんと、ガーファで仮想0番を使って脚マウント取り付けの練習をしたとあります。月並みな言葉で申し訳ないですが、桂さんには本当にお世話になりました。照れくさいのでこの場で感謝を伝えます。ありがとうございました。ボール盤もバンドソーもグラインダーもバブルスの作り方もjwもNCもラズパイも、全部桂さんに教わりました。主翼主翼と言われながらいきなり脚班に来て、こいつほんまにやる気あるんかと思われてたと思いますが、ドの付く素人の僕に最後まで付き合ってくれました。きっと僕は自分の後輩にもそうするでしょう。受け取ったバトンはちゃんと後輩に託します。お疲れさまでした。そして最後は本番の脚の運用として僕を選んでくれて、僕を信じてくれてありがとうございました。また今度脚班でゆっくり語りたいです。
寺西さんにもいろいろとお世話になりました。4つも離れている割になんだか気が合う気がするのは僕だけでしょうか笑 ありがとうございました!←
遅くなりましたが、入部当初から温かく受け入れてくださった秋山さんはじめ主翼班の方々、僕が鳥人間に入ったのは皆さんのせいおかげです。ミスったとき成長!って言われて何度救われたか。21のウィングレットに穴開けたときはほんまに泣きそうでしたが佑輔さんが紙粘土でちゃちゃっと直してくれました。
ほかにも感謝を伝えるべき人はいますが、すでに8500字を超えており、明日もテストなので、間違っても必修の単位を落としたりしないようにこの辺でやめにします。
【同期へ】
こんだけ素晴らしいひとたちに恵まれて幸せもんやで俺ら。これから1年間ちゃんと吸収して自分らが班長代になったときに先輩超えてやろうや。なんか同期の中で一番作業してる部類やからか、かげおるんやったら大丈夫かぁみたいな空気を時々感じるけど、全然大丈夫やないで。同期俺一人で回るわけなかろうが。第一寂しいし。これからもよろしく。