遅くなりました。QX-22の代表でOBの清水です。個人的に終わった解放感と、振り返ると自分のダメなところを直視しなければならないのでなんとなく振り返りを書きたくなかったので、今のタイミングとなってしまいました。すみません。
木曜日の途中まではおそらく寺西たちの方が詳細に覚えているのでそちらを参照してください。
7/21(木)
23:30ごろ、前日エントリーの時の必要書類がそろっていないことに気づいて軽く大騒ぎする。色々あって最終的に自分のミスで大会出場できないのではないかという不安に襲われて、狂った。色々とご迷惑をおかけして申し訳ありません。とりあえずパニックを後輩達に伝えないように、一部の人たちにだけ話した。ちなみに書類は出発直前(おそらく火曜日)にポスト投函されていたようで、気づいていなかった。重心シール余った。誰かいります?
7/22(金) 安全審査
5:00 起床。前夜色々あったが結構寝た。今までの自分だったら寝られてなかったと思う。成長した。
6:00 朝食。不安で喉を通らなかった。最低限は腹に入れようと思い食べて、無理そうな分は藤林にあらかじめ取り分けて食べてもらった。ありがとう。これからもよく食べてください。
7:15 ホテル出発
7:30 ごろ 大会事務局の第二本部のテントにダッシュ。事情を説明し、提出書類と重心シールをもらった。めちゃくちゃ焦ったけどあっけなく替えの書類を渡してもらえた。ここで色々と謝罪した。気分はかなり回復した。
8:00 ごろ メンバーが駐機場の準備をしてくれている中、必要な書類を集めた。体温報告とか琵琶湖にいないメンバーの分も1人で集めきるのはキツイ。手伝ってもらえて助かりました。ありがとう。
8:20 Pと選手受付に行った。色々説明を受けた。この辺りは例年と変わっていなかったが、今年からヘルメットにパイロットの頭の位置を知らせるための反射シールを貼ることになった。詳しくはPが書いてくれると思う。30分ほどで問題なく終わった。この時、オンボードカメラの取付を優先したいとのことで、コックピット(うちで言うカウル)を優先してくみ上げてほしいと言われる。
8:50 ごろ。運営側の人からトラックドライバーがどこにいるのかわからないという電話がくる。2人ともトラックの中で待っていたようだが、実際はトラックの駐車場のテント(オレンジ色?)の近くで指示を受けないといけなかったらしい。実は自分もトラックの駐車場に行ったことがなく、全然知らなかった。申し訳ない。すぐに山下に連絡し、トラックを動かしてもらう。
9:00 ごろ 積み込み開始。去年の経験もあり。ここはすぐに終わった。人が多かったのもある。本格的に設営が始まった。この辺りから時間感覚があやふやですすみません。
10:00 ごろ? 色々設営に関して寺西と菊池が頑張ってくれていたようだが、えらく手こずっていたようなので口を出してしまった。結果大して解決せず。ちょっと混乱を招いてしまったかもしれない。申し訳ないです。多分ほかの人も言及すると思うが、設営に関してはもっと事前準備ある必要があったと後悔した。(大会直前は色々あったので、自分もかなり疲弊して手も頭も回りませんでした。言い訳ですごめんなさい。)この辺りで、宮前に昼食の準備をお願いした。
12:00ごろ? 大会事務局の人が来て、今日は風が強いので、機体を完全に組み上げずに安全審査を行うという連絡を受ける。念のため主翼のささり具合を確認の意味も込めて右翼1番だけさして安全審査を受けることにした。正直準備も遅れていたので非常にありがたい話だった。これはイレギュラーなので来年以降はちゃんと13時に安全審査を受けられるように頑張ろう。
13:00 ごろ カウルが組みあがったタイミングでオンボードカメラの取付を運営事務局に電話してお願いする。順番待ちで全然来ない。来年は爆速で0胴組んでカウルを組み立てよう。
13:50 ごろ 番組スタッフの方から脚蓋の動作を見たいと言われていたのでこのタイミングで見せた。結構忙しいタイミングに要望が来ることが多いので、なるべくやれる準備は前倒しでやっておいた方が良いです。
14:00前 ごろ 安全審査団が近くを通りがかったタイミングで安全審査を受ける。こちらから連絡したわけではないのでちょっと焦った。手が空いていたのだろう。安全審査はすごく早く終わった。対策していたのもあるが、今年はさすがにスムーズ過ぎたので、来年も変わらずきちんと準備していこう。14:10には機体に関しては安全審査合格。オンボードカメラの取付をした後にもう一度見てもらってステッカーをもらうように指示を受ける。
16:30くらいまで オンボードカメラの取付。カウルを外して電装をいじりたいということで、カウルの本固定はまだしたくないという状況だったので、仮固定でお願いすることになった。Pの乗り込み位置が結構前で、カウルを薄くしたこともあり、かなり苦戦してずっとやっていた。ここは改善した方が良いかなと思います。おそらくカウル班が何とかしてくれる。
17:00 オンボードカメラの取付が済んだので、安全審査の最終チェックをお願いした。ステッカーをもらえた。やったね!このあたりでプラホ見学のアナウンスがかかる。その後の安全講習会で参加表という書類を提出する必要があるので、パイロットか同行者に渡すのを忘れないようにしよう。
17:30 Yahoo天気の通知で大雨注意の通知が来たので、寺西にも声をかけて雨の対策を始める。途中で雨が降ってきたが被害は最小限だった。毎年このタイミングで雨が降ってくる気がするので、来年以降は雨を前提に設営した方が良いと思う。何とか凌いだがかなり消耗した。
18:30 ごろ ホテル泊組等に助けを求める。色々頑張ってたけいちゃんが震えていたので銀マットを巻いた。絵面はアレだが効果があるのは19の経験からも確か。湖岸のメンバーのテンションも(体温も)だいぶ下がっていたので、必ず交代が来ると励ましていました。
20:00 ごろ 湖岸を出発し、極楽湯と食事。すぐに済ませるためにマクドを選択。セットを頼んだけど、フライドポテトを食べきるのがきつかった。学部生は普通にポテトL食べてた。すごい。昼間もマクド食ったのに。
22:00 ごろ 湖岸に帰ってくる。どうやらレンタカーがパンクしていたようで、明らかに寺西が焦ってた。
0:00 ごろ 色々と落ち着いてきたので就寝する準備。みんなウトウトし始めたくらいで大雨の音。とりあえず機体を守るために雨漏りの対策をしたが、多くの人の寝床が浸水。ある程度のところで寝ることも優先しようと言ったが、初めての部員などは気が気でない様子。蚊に噛まれまくってかゆくて寝られないなあと思っていたが、気づいたら寝ていた。普段からキャンプとかしていたおかげかもしれない。みんな、キャンプ、しよう!
7/23(土) フライト当日()
4:30 ごろ 電装のモノがなくなっていたらしく、ごそごそしていたので起きた。雨対策の為にごみ袋に入れてしまっていた為に誤ってごみと一緒に置かれていたようだ。仕方ないけど、できればどういう防水対策をしたか等を共有できていればよかったね。琵琶湖では普段その班のものを触らない人も触る機会が結構あるので、袋の中身が何かよくわからないまま処理されることもある。特に夜だと暗くて余計に見えないので、ゴミ袋に入ってたら無意識にポイーされます。
6:00までの作業?気づいたらキャノピーの固定も終わり、オンボードカメラの固定も終わっていましたよ。
6:50 大会事務局第二本部のテントでPのメディカルチェックを受ける。普通にクリア。例年みんな熱を出してたりしたらしいけど、22のPは一味違った。平熱で余裕のクリア。強いて言うなら脈がはやかった。3枚目のステッカーをもらう。
7:00 テントから機体を出して、移動を開始。すぐに出せるか心配だったが、寺西がうまくやってくれていた。昨日に引き続き、朝なのに普通に風がヤバい。トリムも取れないと判断し、準備も行わなかった。
7:30から9:00ごろまで 駐機場から転回場に移動しながら機体を組み、キャノピーに水平線の養生テープを貼るなどしていた。ずっと風が強かった。合間合間に前のチームのフライトを見ていたが、補助員がポロポロ落ちていた。18の大会を思い出していた。自分がフライトチームだったらゲロが止まらなかったと思う。22はなぜか気楽に見られた。
9:30 ごろ 転回場の手前に着いていた。雨脚が強くなり、電装部分を優先しながら機体をカバー。風はずっと吹いていたがこの時が一番きつかった。低速機ならその場で浮けるくらいの風だったように思う。19の大会を思い出していた。これは中止かなとボーイと話しながら思っていた。
10:00 大会中止と伝えられる。明日のフライトの可能性も十分にあることから機体を綺麗なまま駐機場に戻るように指示を受ける。この辺りで明日のフライトの可能性を考え、M2中心に準備をお願いしたと思う。寺西などと相談しながら、明日フライトするなら何時がデッドラインかを話し合った。
12:00 あたり? この辺りから駐機場と大会事務局第二本部のテントをシャトルランしていたので時間がかなり曖昧です。Pと一緒に大会事務局第二本部のテントに呼ばれ、フライトが延期になったことを伝えられる。運営側がフライト順を決定するにあたり、機体を組み立てるのに必要な時間と、何時まで琵琶湖にいられるかを聞かれた。機体を組むのに1時間半、できれば午前中にフライトを終わらせたいと伝えた。
15:00から15:30ごろ 運営から明日のフライト順が1番になる見込みであることが伝えられる。ただこの時点では見込みであること、他チームの了承を得るために確定していないとのことだった。土曜日の1番機だった鳥科さんの駐機場を使ってもいいことも伝えられた。フライトが朝早く、遅れるとペラ機のチームにも影響するなど軽く脅されたが、これまでいろいろやらかしていたので、「はい、やります」と答えた。絶対に遅れられないと思ったので、駐機場ごと移動することに決めた。ここまでほぼ独断即決してしまった。もう少し相談すれば良かったとも思ったが、相談したところで変わったかと言われると多分同じ結果だったと思う。
16:00まで 駐機場まで走ったら寺西がいた。事務局長とどのあたりなら使ってもいいかを相談する。
16:00 ごろ、テントを解体しトラック積み込みの準備完了。このタイミングで、同じく日曜日に延期となり、九大の次の2番機となる津田沼さんの代表から、移動する駐機場について打ち合わせしたいと言われる。勝手に新しいスペースを使っていいものだと思っていたので焦る。
16:30 ごろ トラックに主翼とテントを積み込み。0胴は湖岸を歩いて運んでもらった。このタイミングで新しいフライト順が書かれた紙をスタッフさんから受け取り、フライト順が確定したことを知る。
17:00 ごろ トラックから新駐機場で荷下ろし。荷下ろしの場所を勘違いして伝えてしまっていたのであたふたしてしまった。確認不足でした、ごめんなさい。
17:30 荷下ろし終わり。ここでフライトの時間に関して共有。遅かったですねすみません。ただ、フライトチームは19時ごろにフライトの時間を知ったとあるが、さすがにそんなことはないはず。ここから一気に設営。横に広く使えたので、すぐに機体を出せるように寺西と相談しながら配置を決めた。雨の予報なども特になかったので、尾翼はむき出しだった。どのみち狭くて尾翼側にはテントを置けなかった。すまん。
19:00 おそらくこのころには設営も落ち着き、宿泊場所の準備やらをしていたと思う。5:00には転回場ということだったので、主にゆうすけと相談しながら何時に機体を組み始めるかどうかなど当日の時間について決めたと思う。
21:00ごろ 極楽湯に行くことを断念。寝る準備をした。主に個人荷物などがむき出しだったので、テントに入れるなど雨対策するべきかなとも思いつつ、雨の予報もなく、自分も疲労で動きが悪かったのでブルシをかけるだけだった。比較的活きの良いB2たちが元気にしてくれていたので、多少心が救われた。もう人を元気づけるとかそんな余裕もなかった。
23:30ごろ おそらく寝た。露に濡れながら寒いし、虫刺されもひどかったが気絶した。
7/24(日) フライト当日(延長戦)
2:30 ごろ おそらく起きた。電装関係の動作確認
3:00ごろ 機体をテントから出して、湖岸で組み立て始める。
4:00ごろ 機体を大体組み終わった。
4:30から5:00ごろ 運営側に早めに転回場に入っていいかなどいろいろ確認した。早ければ早いほど助かると言われたので準備出来次第移動。運営側の準備もまだなのにプラホまで上がろうとしてしまった。さすがに笑った。転回場では右翼左翼がぶつからないように確認する人を準備しておこう。今年もちゃんと準備していたが、なんとなく自分が見ていた。
5:15ごろ プラホ上の準備が終わったため機体を運んでよいと言われる。この時自分はフライトチームとともにプラホ上の見学をさせてもらっていた。かなり滑りやすい状態だったので、ひたすらウエスで拭いた。森が突然走り始めたので焦った。プラホ上で許可を取れば走る練習とかしても良いらしい。なんなら当日はむしろ走って練習しておけ、くらいの感じだった。
5:30 機体を置いた。この時も翼端を見る人を準備。クレーンやそのほか機材に機体が当たらないように。風はほぼ無風、時々背風が0~1 m/sくらい。プラホから見て右には飛べないので、少し機首を左に向けておいた。スタンバイまで時間があったので何となく周りを見渡していた。あと、翼を拭いたりしてた。応援団を探したがどこにいるかわからなかった。
5:45 フライト
6:00 機体の回収。回収の時はPや菊池の話を聞いていたのでちょっとよくわからないですすみません。うまくやってくれた様子。
7:00 新駐機場に戻る。この辺りから終わった解放感でほとんど記憶が無い。大体新代表に任せた。早く休みたかった。
12:00まで ペラ機のフライトを見ながら、色んな人と色んな事をしゃべったと思う。お世話になったのでOB・OGさんたちにもお礼がしたかったが気づいたら寝てしまっていた。なぜか寝顔を撮られた。恥ずかしい。
12:30 ごろ 琵琶湖を出発。ついに琵琶湖で一度も運転しなかった。さすがに申し訳ない気持ちもあったが、あの時は運転する自信がなかった。結局菊池の運転するハイエースに乗せてもらった。
なぜか山下の乗った車が大津SAを通りすぎる。お土産買えへんやん。さすがに吹田のSAには滋賀のお土産はおいてないぞって3回くらい電話でしゃべった。なぜか菊池が爆笑してたからよかったけども。
帰りは休憩多めにフェリー乗り場まで。しおりの通りで特になし。時間に余裕があったので、途中でスーパーによって下着を買ったり、給油したりした。生放送も見てた。
18:00 フェリー出港。乗船直後、何も考えずに風呂に行ったがよくよく考えればミーティングとかあったのかな。マジですまん。大体甲板に出てると秋山が来た。同期はどうやら陰気すぎるらしい。船内のレストランでレモンサワーとなんかよくわからん肉やらおつまみなどを閉店間際に買って1人で酔っ払ってた。寝て起きて橋見てた。
7/25(月) 福岡
7:30 ごろ 菊池とハイエースで新門司港近くのセブンで朝ごはんやらメガシャキやらを買ってから出発。
古賀SAを出てすぐの福岡icで道を間違えて、大宰府方面に行ってしまった。この時菊池は「俺琵琶湖マスターかもしれん。運営は任せてほしいわ。」と豪語していた。そんなこと言いながら道間違えてんだよなあ。というか助手席で何も考えずにしゃべってた自分が悪いです。すみません。アホです。なんでもっと手前で気づかんかったんや。結局伊都に到着したのはトラック等が到着した9:30から1時間遅れの10:30。途中俺らアホすぎるとか言いながらゲラゲラして走っていたが、さすがに怒られると思い、いかなる肉体労働も覚悟して伊都キャンパスに入った。
少なくとも月曜日に関しては、もちろん寺西達と相談しながらではあるが、新代表もうまくやっていたと思う。
おわりに
ありがとうございました。本当に不甲斐ない代表でしたが、皆さんのおかげでフライトを終えることが出来ました。出発前のごたごたの時点で、出場をあきらめようと思ったこともありましたが、皆さんが準備している姿、特に1年生の応援準備の様子を見て、諦めるわけにはいかないなと何とか立ち直れました。
まだまだ書くべきこともあるような気もしますが、今はとりあえず眠いのでここまでにしておきます。また、気が向いたら書きます。自分が鳥にいた5年半くらいを振り返ったやつとかね。なんかちょっとエモいやつ
最後になりましたが、OB・OGの皆様、誠にありがとうございました。代表として至らぬことも多々あったかと存じますが、温かく見守り、時にはたくさんの支援をいただいたこと、心から感謝申し上げます。おかげさまで、充実した鳥人生を送ることが出来ました。今後は私もOBとなります。よろしくお願いいたします。